今月は
2004年 11月は
台風に地震、先月は大変な月でした。復旧はまだまだこれから、
大変な状態が続くのですが、今月は穏やかな月であってほしいものです。
さて、秋も深ーくなって、ほんとに涼しい時節となりました。
金花糖も、ストーブの準備です。
そして今月の特別メニューは、例年の、新蕎麦だんごです。
新蕎麦の、あっさりした味わいに金花糖の餡を合わせた、
この時節ならではのもの。深ーい秋の庭を眺めながら、ゆっくりと
お楽しみくださいね。
さてさて11月といえば、紅葉が美しいですね。その紅葉と、秋の美しい月光を詠んだ、
紀貫之の歌です。
秋の月 光さやけみ もみぢ葉の 落つる影さへ 見えわたるかな
<秋の月 光が冴えているので 紅葉の 落ちる影さえ 全て見えることだ>
紅葉がひらひら落ちていく。
その時、影の形は、めまぐるしく変わります。
秋の月光は冴えわたり、その影の変化する形まで、くっきりと全て見えたというのです。
どこまでも澄みきって、鋭いまでに美しい月の光、そして舞う紅葉。
それらが、見えるように
詠われています。ほんとうに素晴らしい歌ですね。
でも、秋の景色も今月まで。移ってゆく秋の景色を詠んだ、
藤原良経の歌です。
見し秋を なにに残さむ 草の原 ひとつに変る 野べのけしきに
<見ていた秋を なにに残そう 草の原 ひとつの色に変る 野辺のけしきに>
緑の中に、いろんな色で咲いていた秋の草花。しかし秋も終り、 野辺の景色は、枯れた茶色ひとつに変わってしまう。 何も残らない。もの淋しさが、心に残ります。
しかしこの歌には、もう一つ有名なお話があります。その頃には
「歌合せ」という、歌人を左右に分けて、詠んだ歌を
一首ずつ組合わせ、判者が勝負を決めるという遊戯がありました。
この良経の歌は、約 800年前の「六百番歌合せ」において、
左方の歌として、勝と判定された歌なのです。
しかし右方からは、こう難じられていました。
「草の原、聞きよからず」
<『草の原』という言葉は、和歌にふさわしくない>
それに対して、判者であった藤原俊成は答えます。
「源氏見ざる歌詠みは、遺恨のことなり」
<源氏物語を見ない歌詠みは、遺憾なことだ>
そう、この「草の原」という言葉は、源氏物語の中で、
妖艶に歌に詠みこまれているのです!
そんな言葉が、和歌にふさわしくないはずはありません。
この遣り取りは、
紫式部の書いた物語が、当時すでに必読書であったことが分かる
話として知られています。
さあ、紅葉が終わると、いよいよ冬ですね。