今月は
2011年 4月は
東北が、ほんとに大変なことになりました。
この先いったいどうなるのかと思っているうちに、
食べものが美味しくなくなり自分の体が不調をきたす始末。
こんなときこそ支援するためには、
こっちがしっかりしなければならないのに。
そしてこんなときにかぎって、3月がほんとうに寒かったです。
これでは桜も遅いんでしょうね。
でも遅くても、ここは桜で元気を出したいところです。
我々は古来、桜で嘆きを払い、喜ぶ力を得てきました。
金花糖も、今月は桜を楽しんで行きたいと思います。
では、桜を詠んだ紫式部の歌です。
式部は、結婚しましたが早く夫を亡くしました。
その頃の歌で、前書きに
残された子供が、荒れた家の桜が美しいと、折って持ってきましたので
とあります。
ちるはなをなげきし人はこのもとのさびしきことやかねてしりけむ
〔散る花を 嘆きし人は 木の下の 寂しきことや 予て知りけむ〕
散る花を 嘆いていた人は 木の下の、
そして子の許の 寂しいことを 前から知っていたのでしょうか。
子供が持ってきたのは、
主人が亡くなり、手入れが行き届かなくなって荒れた我が家の桜でした。
こんなに美しく咲いて・・・ そのとき紫式部は、夫が、
散る花を嘆く和歌を言っていたことを思い出したのでした。
桜が散るのを嘆いていたあの人は、自分が死んだ後、
この木の下の家が、この子供の許が寂しくなることを知っていて、
あの桜を残したんだろうか。
そして、こんなに美しく咲かせてくれたんだろうか。
「木の下の 寂しきことや 予て知りけむ」、心のこもった素晴らしい歌ですね。
亡くなった夫、残された子供、家族への思いが全ての歌ですね。
源氏物語は、夫の死後5年ほどの間に、
主な部分が書かれ既に広まっていたと考えられています。
すると、この歌が詠まれたころには、
紫式部は源氏物語をもう構想していたのかもしれません。
源氏物語というと華やかな印象ですが、やはりこういう家族への思いも込められて、
あの素晴らしい物語になったんでしょうね。
次は、よみ人しらずの歌です。
見れどあかぬ花のさかりに帰る雁猶ふるさとのはるやこひしき
〔見れど飽かぬ 花の盛りに 帰る雁 猶(なほ)故郷の 春や恋しき〕
見ても飽きない 花の盛りに 北へ帰る雁 やはり故郷の 春が恋しいのだろうか。
桜は美しい。心が慰み、どれだけ見ていても飽きないくらいです。
でも故郷の春は、やはり特別なものです。
あたりまえですが、
雁さんがほんとにそう思ったかどうか
という話ではありません。(笑) よみ人知らずさんが雁の姿を見て、
やはり故郷は・・・ と感じたわけですね。
でも、美しい花を見ながら、「なほ故郷の 春や恋しき」 と帰るのも
いいと思うのですが、
それをよみ人しらずさんが、あえて「花の盛りに・・・」と詠んだのは、
やはり桜が我々にとってそれだけ特別な花だからだと思います。
源氏物語で、最愛の人を失った光源氏は
桜に 「今年ばかりは 墨染に咲け」 と思ったのでした。
他の花には思わなくても、桜には思うのです。
でも、桜はいつも美しく咲きます。
そして今は、桜が、今年も人の心を慰め明るくしてくれることを願うのみです。