今月は
2015年 10月は
秋らしいですね。虫の音が聞こえて、草花も一つ花の盛りが過ぎると別の花が咲いて、
そして冷房も暖房もなしで過ごせるのが嬉しいです。
外へ出ても暑い寒いとかなくて、気持よく外出できるのがやはり有り難いです。
秋の夜長もたっぷり楽しんで、やっぱりいい季節と思いますね。
こんな時節こそ長く続いてほしいと思うんですが、やはりだんだんと肌寒くなってきます。
でも長期予報とか割ともひとつですから(笑) これは来てみないと分からないんでしょうね。
金花糖も、今月は庭の眺めもすっかり秋らしく静かな雰囲気です。
そしてそんな秋の落ち着いた気分に、 紅茶あんみつはいかがでしょうか。
紅茶あんみつは、 濃いめアールグレーで作った紅茶寒天が主役のあんみつです。
まず、ベースに紅茶寒天がたっぷり入って、 その上に丹波大納言の餡と、自家製アイスが載っています。
色どりとして生クリームに苺やキウイが添えられて、とても固定ファンの多いメニューです。
特製の白蜜も付いて、お好みの甘さで紅茶寒天の味わいを楽しんでいただけます。
今月は金花糖で、ぜひ紅茶あんみつをご賞味くださいね。
では、秋の虫を詠んだ伊勢の歌です。前書きがあります。
鈴虫を取ってきて、庭の植込みに放す時に
いづこにも草の枕をすずむしはここをたびとも思はざらなん
〔何処(いづこ)にも 草の枕を 鈴虫は ここを旅とも 思はざらなん〕
何処にいても 草枕に寝る マツムシは ここを旅などと 思わないでほしい。
庭に虫を放す時にこんな歌を詠むんですね。素敵ですね。
この歌の鈴虫なんですが、先月に、昔キリギリスと言っていた虫は今のコオロギでとか、
ややこしい話を書きましたが、この鈴虫もそうなのです。(笑) 昔に鈴虫と言ってたのは
今のマツムシで、昔に松虫と言ってたのは今のスズムシのことでした。
なんで、こんなややこしいことになったのでしょうか。(笑)
それはそれとして、思うのですが、昔の庭なら虫も今よりずっと住みやすかったような気がして、
だから、わざわざ取ってこなくてもいっぱいいたような気がするんですが、
そうでもなかったようです。
実は源氏物語にも、虫を取ってきて庭に放すという話が出てきます。
ところが昔の松虫を放しても、野山で鳴くようには鳴いてくれなかったという話になっています。
庭に虫を放しても必ずしも上手く鳴いてはくれなかったようです。
だからこそ、伊勢さんはここで鳴いてほしいと歌を詠んだのではないでしょうか。
昔は、素晴らしい歌には鬼神をも動かす力がありました。
普通に願うだけでは物事は動かなくても、歌の力で変えることができるのでした。
庭ではよく鳴いてくれない虫もいるようだけど、
ここを自分の元からの住処と思ってゆっくりして、いっぱい鳴いてくださいね。
「草の枕を 鈴虫は ここを旅とも 思はざらなん」、
秋の夜長の楽しみを、歌を詠んで願う。
優雅ですね。昔の、ほんとに心豊かな生活が偲ばれる歌ですね。
次は、凡河内 躬恒(おおしこうちのみつね)の歌です。
ながしとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋のよなれば
〔長しとも 思ひぞ果てぬ 昔より 逢ふ人からの 秋の夜なれば〕
長いなどと 決めてしまってはいけませんよ。 昔から 逢う人次第の 秋の夜でしたから。
これはなかなか大人の歌ですね。(笑)
歌の最後の 「秋の夜なれば」 は、「秋の夜ですから」 と一般的な意味も持っていますが、
「秋の夜でしたから」 のように已にあったことを表わす意味もあります。
ここはやはり、自分の経験や、友達からこうこうだったと聞いた話とか、
あったことから言うので面白いのではないでしょうか。
それにしても秋の夜長、
夜はたっぷりあるんですが(笑) でも別にそういう話でなくても、
たしかに時間の経つのは楽しい時はすぐですね。
そして昔の歌は、交際や社交の中で、その場に応じた気の利いた言葉が出せることが大事でした。
機知とかウィット、エスプリと言われるものですね。
この歌は、まさにそういう歌と思います。
秋の夜は長いから、楽しいとか悲しいとか、という話題の中で出てきたような気がします。
「長しとも 思ひぞ果てぬ 昔より 逢ふ人からの 秋の夜なれば」、まさに時を忘れるような相手なら、
さすがの秋の夜長も、たしかに短いかもしれませんね。(笑)
さあ、秋まっ盛りです。二人で時を忘れるもよし、一人もまたよし、ということで。(笑)