今月は
2012年 11月は
涼しくなって、もう朝晩は少し寒いくらいです。
そして日の暮れるのがほんとに早くなりましたね。
5時を過ぎると、もうこんなに暗いのかと思ってしまいます。
でも今月は7日が立冬なのです。
暦の立冬とかは、昔てきとうに決めたものなのではなくて、
太陽の位置によって四季を決めたものです。
ですから暦は、日の長さにはきちんと合っています。
日はもう冬なのです。まさに秋ももう終盤です。
でも松茸はもう終わりですが、秋刀魚はまだ旬が続きますし、
紅葉狩りも楽しみ。
今月はいろいろ秋を十分に楽しんでおきたいですね。
そして金花糖も冬メニューになりました。いよいよお餅のメニューです。
金花糖のお餅といえば、ぺったんぺったん手つきのお餅です。
しっかりした伸びに力のあるお餅で、とても美味しいと毎年大好評です。
今年も、ぜんざいと焼餅トリオをご用意しています。
今月も金花糖で、ぜひお餅メニューをご賞味くださいね。
では、紅葉を詠んだ在原業平(なりひら)の歌です。
ちはやぶる神世もきかず竜田河唐紅に水くくるとは
〔千早(ちはや)振る 神代も聞かず 竜田川 韓紅(からくれない)に 水くくるとは〕
「千早振る」は神の枕詞です。
「くくる」は、くくり染めにする、今で言う絞り染めにすることを言います。
千早振る 神代の時代にも聞いていない 竜田川、韓紅色に 水を絞り染めにするとは。
竜田川に紅葉がいっぱいに流れて、水まで赤く染めたかのような素晴らしい眺めだったんでしょうね。
実は竜田川の流れる山には、竜田姫という女神がおられます。
そしてこの竜田姫は秋を司る神なのです。
だから秋には、神威を表されることがあったのかもしれません。
でも 「韓紅に 水くくるとは」 聞いたことがない・・・ ほんとに素敵な発想の歌ですね。
この歌は多くの人に知られて、百人一首にも取られ、
古来さまざまなものに取り上げられてきました。
なかでも傑作なのは、落語の「千早振る」でしょう。
八っつぁんが御隠居さんにこの歌の意味を聞きに行くのですが、
ほんとは意味を知らない御隠居さんが、とんでもない説明をしてしまうというものです。
竜田川というのは、実は相撲取りの名前でな。
これが吉原の千早という太夫に惚れたんだな。
でも振られてしまった。
それでしかたなく妹の神代に言い寄ったんだが、
これも言うことを聞かない。
それで、「千早振る 神代も聞かず 竜田川」 となったんだよ。(笑)
がっかりした竜田川は引退して豆腐屋になってな。
三年経ったある日、その豆腐屋に女乞食がやってきて、どうぞおからでも恵んでくださいと言う。
ひょっと見ると、それはなぜか落ちぶれた千早の姿だったんだ。
竜田川は昔の恨みを思い出して、おからも遣れないと千早の胸を突いた。
飛ばされた千早は井戸の傍にある柳の木につかまった。
そして、おからもくれないのかと世を悲しんで、
水に飛び込んで死んでしまったんだ。
だから、「からくれないに 水潜(くぐ)るとは」 となるんだよ。(笑)
いやすごい話ですね。(笑) でもこういう落語ができるというのも、
業平さんの歌が素晴らしく、それだけ世に知られたからこそなんでしょうね。
次は、よみ人知らずの歌です。
物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつうつろひゆくをかぎりと思へば
〔物毎に 秋ぞ悲しき 紅葉つつ 移ろひ行くを 限りと思へば〕
物一つ一つに 秋こそ悲しい 紅葉しつつ 色が変わって行き
散ってゆくのを これが最後と思えば。
秋はすぐに薄暗くなって、木の葉もはらりはらりと一枚ずつ落ちて行く。
ほんとになんとなく寂しなる季節です。
野の花もだんだんと枯れて行き、
そして秋の終わりに、紅葉が鮮やかな色で楽しませてくれるのですが、
華やかな色が楽しめるのもこれで終わりです。
花が咲くのはもちろん、盛りが過ぎて色あせ、そして散ってゆく、
そんな移ろいさえもこれで終わりとなるのです。
昔は、今のように例えば紅葉を写真で残すなんてことも出来ませんし、
人はまさにその季節とともに行き、そして過ぎて行ったわけです。
だから今よりもずっと季節感いっぱいに、
秋になると、どっと悲しい気分も湧いてきたのではないでしょうか。
花が枯れても、葉が落ちても、どれも一つ一つが慕わしく、そして悲しいのです。
「物毎に 秋ぞ悲しき 紅葉つつ 移ろひ行くを 限りと思へば」、
季節とともに生きていた古来の人々の季節感、
秋の思いが溢れている歌ですね。
さあ秋も終盤。そろそろ暖房も必要になります。
季節の変わり目だから体調にも注意して、おわりの秋を楽しみたいですね。