今月は
2014年 12月は
カレンダーもあと一枚。年の瀬が来てしまいました。
年末になると、なんだかんだとお正月を迎える準備で忙しくなるわけですが、
でもそうはいっても、年末の特別なことというのはほんとに少なくなりましたね。
大掃除といっても、日頃が掃除機ですからそれほど汚れてるわけではないですし、
お正月でも開いてるお店がいろいろありますから、
準備もさほどではありません。
でも不思議なもので、やはり年末の気分というものがあります。
少なくなったとはいえ年末までにしておかないととか、そんなものが気持に掛かりますし、
そして、また一年が経った、そういう思いが年の瀬の気分となってくるのではないでしょうか。
金花糖も、お蔭さまをもちまして締めくくりの月をむかえることが出来ました。
そして気忙しい師走ですが、金花糖は静かでゆったりとしています。
そんなゆっくりした雰囲気で、ぜんざいはいかがでしょうか。
丹波大納言の餡は小豆の味がたっぷりです。
伸びにしっかりと力のある手つきのお餅で、とっても美味しいぜんざいです。
ぜひ今月は金花糖で、ぜんざいをご賞味くださいね。
では、初冬の心を詠んだ藤原俊成の歌です。
おきあかす秋のわかれの袖の露しもこそむすべ冬やきぬらん
〔起き明かす 秋の別れの 袖の露 霜こそ結べ 冬や来ぬらん〕
起きたまま夜を明かす 秋の別れの 袖の涙は 霜となった。 冬が来たのだろう。
袖の涙が霜となり、冬を知る。俊成さんはやはり詩人ですね。
あたりまえですが自分では絶対に作れない歌です。(笑) なんとも、
歌を読んで浮かぶ情景がほんとに美しい。
その浮かぶものだけで十分で、ほんとは説明なんかしていけない歌なのかもしれませんね。
そしてあえて説明になりますが(笑) この歌は形としては、
秋から冬になる夜の明け方の歌です。
今も昔も立冬とか立春は太陽の位置で決まるものですから、それは変わりません。
でも昔は暦の作り方が旧暦で、元日がほぼ立春になり、立冬は10月1日の前後でした。
そして普通には、立冬とは少し違っていても10月1日を冬の初日としました。
今日で秋が終わり、明日から冬というのをはっきりしていたわけです。
それで俊成さんは、秋を惜しみながら夜を明かし、
秋にお別れ、そして冬への挨拶に歌を詠んだのです。
素敵ですね。
すでに秋の美しい草花は枯れ、紅葉は散って行く、
そして恋の別れの思い出が重なったのではないでしょうか、
袖は涙に濡れるのです。冬が来る夜のことでした。
「起き明かす 秋の別れの 袖の露 霜こそ結べ 冬や来ぬらん」、
秋の涙を、冬が霜にする。なんど読んでも、いい歌ですね。
次は、年の暮を詠んだ中原長国の歌です。
としくれぬとばかりをこそきかましかわが身のうへにつもらざりせば
〔年暮れぬ とばかりをこそ 聞かましか 我が身の上に 積もらざりせば〕
年が暮れた と、そのことだけを 聞くのだろうに、我が身の上に 積もらないものなら。
1年が終わる、確かにそれだけならいいんですが、
寄る年波が積もって積もって(笑) ほんとにいやになります。 この歌は
900年以上前に詠まれたものですから、
今は平均寿命としては30年40年と伸びてると思うんですが、そんなことは関係ないですね。
今も昔も、年を取るというのは、
とにかく悪いことの方が断然多いわけです。(笑)
まあそんなことばかり言っててもしょうがなくて、(笑) でもこの歌の 「とばかりをこそ」 というのが面白いですね。
直訳なら 「と、だけをこそ」 でしょうか。
年が暮れるという話だけをこそ聞きたいということなんですが、
どうしても年齢がセット付いてくる。
もちろん年を取るということは日々刻々少しずつ行ってるはずなんですが、
年の暮、一年を振り返り、また来年はと思えばどうしても年齢のことも浮かびます。
「年暮れぬ とばかりをこそ 聞かましか」、
哲学的な深い言葉より何より、まさに納得の歌ですね。(笑)
さあ、今年もおしまいです。よいお年を!!