今月は
2017年 7月は
ほんとに雨が降らないと思ってたら、急にどっと降ったり、
梅雨はいろいろやはり心配なものです。
そして、今月は夏が来ます。
今年は暑くなりそうですね。
でも夏は、なんといっても開放的で楽しい季節です。
遊んで、冷やした西瓜を食べて、涼みながらゴロンとして、夏ならではですね。
水分補給だけは忘れずに、楽しんで行きたいです。
金花糖も、今月は夏メニューになります。
中頃までは好評のわらび餅を続けまして、
折を見て、くずきり、氷の夏のメニューとなります。
くずきりは、吉野本葛を使ったものでほんとに美味しいですよ。
本葛のくずきりは、時間が経つと固くなるもので作り置きができません。
ですから必ずご注文いただいてから作っていますので、
少しお時間をいただきますが、くずきり本来の味わいを楽しんでいただけます。
蜜は黒蜜、抹茶蜜の2種類をお付け致しますので、お好みで味わっていただけます。
今月は金花糖で、ぜひくずきりをご賞味くださいね。
では、七夕を詠んだ後冷泉天皇の御歌です。前書きがあます。
七月七日、二条院の御方に差し上げました歌
あふことはたなばたつめにかしつれどわたらまほしきかささぎのはし
〔逢ふことは 織女(たなばたつめ)に 貸しつれど 渡らまほしき カササギの橋〕
逢ふことは 織女に お供えとして貸したけれど 私は渡りたい カササギの橋。
七夕は中国から伝わったものですが、中国のお話では七月七日、天の川には、
カササギが羽を広げて連なった橋が架かるのです。
この歌は、後冷泉天皇がまだ皇太子であったときに詠まれた歌でした。
歌が送られた前書きの「二条院の御方」は、すでに宮中に入っておられた章子内親王という方です。
後にお后になられた方でした。
このとき皇太子は満十五才、章子さんは十四才でした。
若いですね。まだ少年少女の感じがある時の歌なのです。
真っ直ぐに、出逢いの橋を渡りたいと詠まれています。
これは素敵ですね。
平安時代に書かれた本によれば、後冷泉天皇という方は、
人を気分次第で嫌ったりとかすることがなく、穏やかで素晴らしい人であったということです。
そしてまた、それは乳母が趣深い人であったので、
そんな風にお育てしお教えしたのではないかとも書かれているのです。
何か恐れ多い話ですが、その乳母は越後弁という人でした。
この人は、なんと紫式部の娘です。
娘さんもほんとに並の人ではなかったわけです。
そしてこの歌にも、
素直に育った少年のまだ面影が残る皇太子らしい、そんな思いが表れていると思います。
「逢ふことは 織女(たなばたつめ)に 貸しつれど 渡らまほしき カササギの橋」、
二人が一年に一度だけ逢える天の川を見上げて、
若き皇太子は出逢いのカササギの橋を思った。
七夕という夢物語に、まさに相応しい歌ですね。
次は、夏を詠んだ南院式部卿親王の女(むすめ)の歌です。
前書きがあります。
元長親王に夏の装束を仕立て、贈るときに添えました歌
わがたちてきるこそうけれ夏衣おほかたとのみ見べきうすさを
〔我が裁ちて 着るこそ憂けれ 夏衣 大方とのみ 見べき薄さを〕
私が裁って仕立て あなたが着るのが憂鬱で 夏衣 ただ普通にと 見ることになる薄さを。
この薄い夏衣をあなたが身に付けて、
あなたの心まで薄くなるのではないかと思うと憂鬱です。
この衣は薄いですが、私の心は違いますよ。
特別に心を込めて作りましたので、という思いです。
でも届いた服に、歌が添えられているというのは素敵ですね。
ましてこんな内容を文章にしてしまえば、しつこいというか趣がありません。
歌だからこそ伝えられるものと思います。
昔は、衣服を女性の側から贈るというのはよくありました。
それは今の服をプレゼントするというのとは、少し感覚が違うのです。
というのは昔は結婚が基本的には婿入りだったからで、
だから物語にも、なかなか結婚しない息子の親が、
言い訳に息子を手放すのが寂しいからついつい結婚させられなくて、と言う場面があったりします。
ということは結婚は、女性の方の家で、
男の身の回りの世話をする形になることであったわけです。
それで男が日々通うというほどではなくて、たまにしか逢わないような関係であっても、
何かあれば衣服の世話をするということがあったようです。
この歌では、しっかりとまず 「我が裁ちて」 と、
私が作った服であることを言っているのが微笑ましい感じがします。
でもそれが不自然ではなく、そこはやはり上手いものです。
「我が裁ちて 着るこそ憂けれ 夏衣 大方とのみ 見べき薄さを」、
季節感の中にしっかり思いが込められた、
素敵な夏の歌ですね。
さあ、夏に突入です。遊びよし、恋もよしで、楽しい夏にしたいですね。