今月は
2016年 4月は
ほんとに春らしくなりました。
日も長くなって、夕方すぐに暗くなってしまった頃とはやはり気分が全然違います。
気温も低いときがあるんですが、空の光が春なので、
服の色は春っぽいものを着てしまってやはり違うなーと思います。
そして、言わずもがなの桜です!! 今年もほんとうに楽しみです。
すっかり季節が巡りましたね。
金花糖も今月は、春の花を生けまして春の雰囲気いっぱいでお迎えいたします。
お花見のお帰りには、ぜひ金花糖でゆっくりされてはいかがでしょうか。
そしてそんな一服のおすすめは、「抹茶ぜんざい」です。
「抹茶ぜんざい」は、シンプルに丹波大納言の餡と、
自家製アイスの美味しさを楽しんでいただくメニューです。
餡の上にアイスが載って、抹茶の濃茶がかかります。
あとは彩りに、金箔と白玉が添えられています。
そして、濃茶はシロップではなくて、お点前で使う抹茶を使っていますので、
餡とアイスの美味しさに、も一つ深さが加わった味わいです。
ほんとに美味しいメニューです。
ぜひ今月は金花糖で、「抹茶ぜんざい」をご賞味くださいね。
では、桜を詠んだ藤原公時(きんとき)の歌です。
としをへておなじさくらの花の色をそめます物は心なりけり
〔年を経て 同じ桜の 花の色を 染め増すものは 心なりけり〕
ずっと年々、同じ桜の 花の色を より美しく染めているものは 心でした。
この歌の意味は単に現代語にしただけでは、ちょっと分かり難いかもしれません。
桜がぱーっと満開になったのを見た時の気持は、もう何十年と繰り返し見ているはずなのに、
桜はこんなに美しいのかとか思ってしまうくらいです。
それで昔の人は桜は年々、より美しくなって咲くのではないか、とさえ思ったのです。
まあ昔は写真とか無いですから、そういう思い付きも浮かぶと思います。
でもいくら昔の人でも、それはまさか!! でした。(笑) この歌は、
そこを冷静にそれは人の心のせいなのだと詠んだわけです。
たしかに桜が満開になると、毎年のように感嘆するというか、
そういう感激がいつもよみがえります。
ぱっと散ってしまうからなのか理由はわかりませんが、
やはり桜は日本人の心に合っているということなのでしょう。
飽きることなく、毎年だれもがこれほど楽しみにする花はないと思います。
「同じ桜の 花の色を 染め増すものは 心なりけり」、
冷静に詠まれたとも言える歌ですが、
桜に寄せる日本人の心を、見事にとらえた歌ですね。
次は、散る桜を詠んだ紀貫之(きのつらゆき)の歌です。前書きがあります。
山寺に参詣していた時に詠みました。
やどりして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける
〔宿りして 春の山辺に 寝たる夜は 夢の内にも 花ぞ散りける〕
旅に寝て 春の山辺に 寝ている夜は 夢の中にも 桜が散っていた。
「夢の内にも」で、「も」ということは、昼に桜の散る光景を見ていたんでしょうね。
そしてそれが夢にも出てきた、それはどういうことだったのでしょうか。
夢といえば、深層心理学の創始者、フロイトはこんな風に書いています。
願望が夢を誘発すること、そして、この願望の充足が夢の内容であること、 以上は夢の主要な性格の一つです。(精神分析学入門 / ジークムント・フロイト)
ここで貫之さんの「願望」とはあくまでも想像するしかないのですが、
とにかく昼に見た桜の散る景色がほんとに素晴らしいものだったのでしょう。
しかし今年の花ももう終り。
来年までこんな桜は、二度と見ることは出来ないのです。
何かもう一度あの花の光景を目に焼き付けておくことができたら・・・ 貫之さんのそんな願望は、
カラーの写真どころかビデオまであるような今とは、
比較にはならないくらい強いものだったと思います。
それが、あのフロイトの言う「願望の充足」として、夢に現れたのではないでしょうか。
「春の山辺に 寝たる夜は 夢の内にも 花ぞ散りける」、
夢の中で散る花、夢の中で今年の桜ともお別れです。
まさに夢幻的、想像すればするほど美しい、そんな歌ですね。
さあ、春です。
外へ出ると固まっていた体もほぐれたような。(笑) 外も億劫にならないですし、
いっぱい楽しみたいですね。