今月は
2012年 10月は
残暑が大変でしたけど、ようやく涼しくなってきました。
服も長袖になって、やっと秋が来たという感じです。
そして冷房もつけなくなって、ストーブもまだ。これがやっぱりいいです。
古来、春がいいか秋がいいかという議論もありますが、
これだけ残暑にやられると、
いずれにしても暑からず寒からずというのはありがたいことだと思いますね。
金花糖も今月は涼しくてゆっくり、落ち着いた雰囲気で楽しんでいただけます。
季節のメニューも、合いの白玉ぜんざいです。
つるつるでほんとに滑らかな白玉に、丹波大納言の餡がとても美味しいです。
秋らしい落ち着いた趣にぴったりです。
今月は金花糖で、ぜひ白玉ぜんざいをご賞味くださいね。
では、秋の夜を詠んだ凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌です。
前書きがあります。
宮中の、かむなりのつぼ(雷の壺)という後宮に、
人々が集まって秋の夜を惜しむ歌を詠んだ後に、続いて詠みました。
かくばかりをしと思ふ夜をいたづらにねてあかすらむ人さへぞうき
〔かくばかり 惜しと思ふ夜を 徒らに 寝て明かすらむ 人さへぞ憂き〕
このように 過ぎてゆくのがもったいないと思うような夜を 徒らに 寝て
明かしているであろう 人さへもいやになる。
秋の夜はいいですね。
涼しくて過ごしやすいし、月はきれい、虫の音もまたよしです。
「かむなりのつぼ」に集まった日は特によかったのでしょうが、
みんなで歌を詠んだりすれば、ましてでしょう。
まさに過ぎて行くのが惜しいような夜だったわけですが、
そんなときでも寝てる人はいます。(笑) まー躬恒さんも、
全く見ず知らずの人のことまでは気にならないと思いますが、
集まりに来なかった人とか、
早めに引っ込んでしまった人がいたのではないでしょうか。
何でもそうですが、
自分がすごく感激したことにもかかわらず、無関心な態度だったりすると、
どうもその人が気に入らないというか(笑) そういうことはありますね。
そんなことは人それぞれと、理屈は分かってるわけですが、
ついついそう思ってしまうわけです。
躬恒さんもきっとそういう理屈は承知していて、それでそう思うくらい素晴らしい夜だったと、
とにかくそう言いたかったのではないでしょうか。
「徒らに 寝て明かすらむ 人さへぞ憂き」、秋の夜長、まさに寝るのも惜しいという思いが表れた歌ですね。
次は、伊勢の歌です。伊勢は平安時代の女房ですが、
その頃は屏風の絵によく歌を添えました。
これもそういう屏風に書かれた歌です。
前書きがあります。
屏風に、夜どおし物思いをしている女が、頬杖を付いてぼんやりと眺めているので
よもすがら物おもふときのつらづゑはかひなたゆさもしらずぞ有りける
〔夜もすがら 物思ふ時の 頬杖は 腕(かひな)弛さも 知らずぞありける〕
夜どおしずっと 物思う時の 頬杖(ほおづえ)は 腕のだるささも 分からないものですよ。
面白い歌ですねー。よくこんなことを歌にしたものです。
これは、そういう絵のそばに書かれるので面白いわけですね。
まー物思いじゃなくても、じーっとしたまま動かないでいて、
気が付いて動こうとすると、ぱっと動けない。
筋肉が固まったみたいになって、
だるーくなってしまってる。たしかにそういう経験はありますね。
頬杖は、その頃の人はよく付いたみたいで、
別に良くないポーズというのでもでもなかったようです。
絵にもアップで描かれてたりしますし、源氏物語にも、
光源氏の頬杖を付いた姿を見て、
話し相手の男の人が美しいと思う、というくだりがあります。
そういう緊張感のないポーズがその頃はかえってよかったのかも。(笑)
そうして秋の夜長、恋の物思いともなれば、
あーでもないこうでもないと思いは巡り巡って、きりがなくて、
じーっとしたまま動かない。
秋だから汗だくにもならないし(笑) なんとなく虫の音に聞き入りながら、
腕のだるさにも気づかぬまま、となってしまうわけですね。
「夜もすがら 物思ふ時の 頬杖は」、
秋の夜長、読書もいいですが、恋の物思いで明かす、
それもいいですねー。可能ならですが。(笑)