今月は
2015年 11月は
秋が深まってというか、ほんとに冷えてきましたね。
ここ金沢では、ストーブまでは人によりけりですが、何か暖房器具を使わないと寒いです。
でも今月は立冬が8日ですから、そういう季節ではあります。
そして晩秋ということで、紅葉の時節ですね。
古来、春の桜に、秋の紅葉が季節の景色の何よりの楽しみでした。
それが千年以上続いているというのは不思議な気もします。
紅葉は真っ赤もいいですが、赤、オレンジ、茶、黄、緑とか色が色々にあるのもほんとに綺麗ですね。
何年か前に自転車で角を曲がると、青空に、まっ黄色の銀杏が立っていて、
その美しさに感激したことがあります。
赤、まぜまぜの色、黄色、みんな楽しみたいですね。
今月は金花糖も、ぜんざい、焼き餅トリオで、暖かいお餅メニューです。
金花糖のお餅はおなじみの、手でぺったんぺったんついたお餅です。
手つきの餅は、伸びに力があってとっても美味しいです。
冷えてくると、やっぱりお餅は体も暖まって元気も出ます。
今月はぜひ金花糖で、ぜんざい、焼き餅トリオのお餅メニューをご賞味くださいね
では、秋の道命法師の歌です。前書きがあります。
春から法輪寺に籠もっておりました秋に、 大井川に紅葉の絶え間なく流れていたのを見て詠みました。
はるさめのあやおりかけし水のおもにあきはもみぢのにしきをぞしく
〔春雨の 綾織り掛けし 水の面(おも)に 秋は紅葉の 錦をぞ敷く〕
春雨が 綾絹を織り掛けていた 水の上に 秋は紅葉の 錦を敷いている。
大井川の水面の様子を、春は綾、秋は錦と華やかに詠んだ歌ですね。
錦はよく知られているように、金糸銀糸やいくつもの色糸を使った豪華な織物です。
綾の方は、色は一色なのですが、
織り方が斜めに織り筋を出すような織りで、それによって斜線の様々な模様を出したものです。
ツイードのヘリンボーン、杉綾も、絹ではありませんが、綾織りによって出された模様です。
ですから綾絹は、派手ではありませんが品位のある織物で、
普通の平絹と違って、位のある人でなければ着ることが許されないものでした。
春雨の水面が、その綾の趣になるのは、春雨は静かに降る雨ですから、まばらにパラパラと降ります。
だから雨粒の波紋が重なって出来た菱形などの斜線模様が、パラパラだから見えやすいのだろうと思います。
道命法師さんは法輪寺に籠もりました。法輪寺は京都の嵯峨にあったそうです。
紅葉の名所ですね。そして大井川は近くですからいつも目にしていたのでしょう。
歌で春雨の水面を綾に、また紅葉を錦に例えることは珍しいことではありません。
しかし道命法師さんは、春からこの法輪寺に籠もり、そして秋なった。
嵯峨や嵐山の季節季節の美しさ、そのずっと見続けてきた思いを詠んだわけです。
「春雨の 綾織り掛けし 水の面(おも)に 秋は紅葉の 錦をぞ敷く」、
日本の自然ですね。
それを豪華な織物と、一色の気品ある織物の美で詠んだ、ほんとに美しい歌ですね。
次は、秋の終りの紫式部の歌です。前書きがあります。
遠い所へ行ってしまう人が訪ねて来て、暁に帰るのに、 九月も終りの日で、虫の音も哀れに聞こえましたので詠みました。
なきよわるまがきの虫もとめがたき秋のわかれやかなしかるらん
〔鳴き弱る 籬(まがき)の虫も 留め難き 秋の別れや 悲しかるらん〕
鳴き声も弱る 垣根の虫も 留められない 秋の別れが 悲しいのでしょう。
秋の別れの歌ですね。
この時期に遠い所へ行くというのは、地方へ赴任で家族で行くのではないでしょうか。
籬(まがき)は、竹などで作った目の荒い垣のことです。
前書きに九月の終わりの日となっています。旧暦では立冬がだいたい十月一日でしたから、
九月末日は秋最後の日でした。
ですからもうだんだん冷えてきて、虫の鳴き方も弱くなっているわけです。
そこでこの紫式部の歌、ものすごく上手い歌と思います。
秋との別れ、そしてあなたとの別れを、虫ももう弱々しい声しか出なくても、なんとか留めようとして鳴いています。
でもどれだけ留めようとしても、今日で秋とも別れ、そしてあなとも別れなくてはならないのでしょう。
その別れが悲しくてなりません。
虫の声もあんなに弱く悲しそうです。
「鳴き弱る 籬(まがき)の虫も 留め難き 秋の別れや 悲しかるらん」、
まさに見事ですね。
秋の別れや 悲しかるらん、思いを込めた言葉が、ずっと残る歌ですね。
さあ、秋も終りの時節です。食欲だけでなく(笑) 晩秋を存分に味わいたいです。