今月は
2012年 8月は
暑いです。鰻が高いです!!(笑)
そして年とともに疲れがひどくなるような気がします。(笑) でも、夏は夏休み、
お盆休みがあってほんとに楽しみです。
海や山もよし、旅もよしですが、
出かけることがなくても盆踊りとか花火があったり、旧友と会って、久しぶりに見る顔が集まったり、
暑い暑いと言いながら、ほんとに楽しい月ですね。
金花糖も今月は、庭の緑も濃くなって、いっぱいに夏、夏です。
今月のメニューではやはり氷でしょうか。
金花糖の氷は、なんといっても餡の美味しさです。
丹波大納言の餡に、冷たい氷がとても美味しいです。
氷金時と、美味しい抹茶蜜の氷宇治金時も大変好評です。
暑い夏は、ぜひ金花糖で氷をご賞味くださいね。
では、夏草を詠んだ寂蓮(じゃくれん)の歌です。
みちもなきなつののくさのいほりかなはなにけがるるやどと見しまに
〔道も無き 夏野の草の 庵かな 花に穢るる 宿と見し間に〕
道も無い 夏野の草の 庵(いおり)だなー 花に穢れる 前庭と見てた間に。
玄関からの前庭は、人がよく通っていればひとりでに道も付くのですが、
「道も無き」ということはあまり誰も来ないんですね。
そこに夏の草が勢いを増して生えて、
家は夏の野の庵のようになってしまった。
「花に穢るる」は、落ちた花がだんだん腐ってきたなくなったという意です。
また「穢る」は、死に接したりして不浄になるという意がありますから、
花が落ちて庭に死んでいった、そういう思いもあると思います。
しかし庭の土には、見ているうちに夏の草がどんどん伸びてきます。
梅雨もあけて夏になり、
気が付けば足がどっと深く入って、ほんとすごい勢いだなと思います。
ここで寂蓮さんの思いとしてはおそらく,
花が盛んなころは人が来てくれるかも、と思えたけれど、
夏草が盛んでは誰も来ないなーということがあるのではないでしょうか。
そうなると道の無い前庭に、
草の緑が濃くなってどんどん伸びてくるのをを眺めて、
自分だけが取り残されたように感じたのかもしれません。
「道も無き 夏野の草の 庵かな」、
元気いっぱいの夏草に、眩しいような明るさまでがちょっと寂しいような、
夏にそんな気分の歌ですね。
次は、 顕昭(けんしょう)法師の歌です。前書きがあります。
草の花は秋に先立つという心を詠みました
夏ごろもすそのの原をわけゆけばおりたがへたる萩が花ずり
〔夏衣 裾野の原を 分け行けば 折り違へたる 萩が花摺り〕
夏衣 裾野の原を 分け行くと 季節を外した 萩の花摺り。
花摺りは、布に模様などを染める方法で、草花から採った染料を使うのではなくて、
萩や露草などの花を、直接布に摺り付けて染めることを言います。
また、そのように染めたもののことも言いました。
山裾の野原を、夏の草が深いので分けながら行くと、夏の衣に萩の花が摺れて色が付いたのでした。
この萩については、季節外れの萩が咲いて、とか解釈されるのですが、
これは夏の終盤の頃の歌ですから、その頃なら萩は咲いていてもおかしくはないでしょう。
ここで改めて季節を外したと言われても、ちょっと分からない感じがします。
これは、萩の花摺りで染めた衣が、秋からの季節感のもので夏にはそぐわない、
それで季節を外してしまった、と言って楽しんでるのではないでしょうか。
催馬楽(さいばら)という平安の頃の歌謡に「更衣」(ころもがへ)という歌があります。
更衣せむや さ公達(きんだち)や 我が衣は 野原篠原 萩の花摺りや さ公達や
と歌われるのですが、この 「萩の花摺りや」 のところ、そう歌うのは秋冬で、
春夏には 「萩の葉の摺りや」 と歌うと伝えられています。
これは萩の花摺りの衣が、秋から着るものであることを思わせます。
「裾野の原を 分け行けば 折り違へたる 萩が花摺り」、
夏の深い草を分け行くと、夏の衣が萩の花摺りになって、季節を外した衣になってしまった。
昔の人はほんとに季節感を大事にしたんですね。
季節感を、色んな趣で楽しんでたことが分かる素敵な歌ですね。
さあ、夏も盛りです。楽しいことがいっぱいあるといいですね。
そして今月は7日が立秋です。
7日を過ぎれば、暑さのなかに少しずつ秋も来ているということですね。