今月は
2010年 9月は
いやー、暑い日がよくこんな続くもんですね!!
毎日ちゃんと水分を取っているのですが、疲れます。
とにかくこの暑さ、いったいいつまで続くんでしょうか。
天気予報はともかくとして、暑さ寒さも彼岸までとか言いますから、
やっぱりお彼岸までということでしょうか。
今月の20日から1週間が秋のお彼岸。
そこまではやはり、がまん、がまんかもしれませんね。
金花糖も、今月は夏メニューが続きます。
そして暑さが過ぎたら、白玉ぜんざいなのですが、
ほんとにいつのことやらという感じもします。
でも今はもう、夜になると虫の音が聞こえてきます。
少しずつ秋も来ているのですね。
気がつけば涼しくなってメニューも切り替わって、となるのかもしれません。
なんとか期待したいです(笑)
では、夏の終わりを詠んだ藤原定家の歌です。
嵐ふく梢はるかになくせみの秋をちかしと空につぐなり
〔嵐吹く 梢はるかに 鳴く蝉の 秋を近しと 空に告ぐなり〕
「嵐」は強い暴風だけではなくて、単に荒々しい風や山から吹き下ろす風の意もありました。
荒々しい風が吹いている。
梢の見える空の遥か高くに鳴いている蝉は、
秋を、もう近いと空に知らせているのだろう。
浮かぶ状景や雰囲気がすごいですね。
荒い風が梢を鳴らす中、見上げれば、空高く蝉の鳴き声がする。
見えるもの、そして聞こえるものが、
もう夏も終わりなのだという思いにしたのですね。
そのとき蝉の声は、空に秋が近いことを知らせていると思った。
蝉は地中で6年も7年もかけて幼虫期を過ごし、地上に出ると2、3週間で死んでしまう。
やはり何か儚さを感じます。
そして真夏には吹かなかった荒い風が吹いた。
蝉の声は、いつもはいかにも暑いと聴こえるのですが、
「嵐吹く 梢はるかに 鳴く蝉の」・・・ この蝉の声はなにか儚く、
夏の終わりを告げる声のように響いたのでしょうね。
夏の終わりに、今までのいろんな思いが重なってくるような、
すごく深さを感じる歌ですね。
次は、藤原兼輔の歌です。前書きがあります。
男の許から扇(あふぎ)を得た、女に代わって。・・・ 兼輔さんが、
どうもその女の人から男に出す和歌を、代作したということみたいです。
うれしくていとどゆくすゑわびしきは秋よりさきの風にざりける
〔嬉しくて いとど行く末 わびしきは 秋より先の 風にざりける〕
《嬉しくて ますます行く末 わびしきは 秋より先の 風にあるのでした》
あなたの扇をもらって嬉しくて、それで一層この先が切ないのです。 それは秋風よりも先に扇から吹く、あなたの飽き風にあるのでした。 うーん、これは扇を題にした恋の駆け引きの歌ですね!!
扇は、昔はもちろん冷房はないので、夏は必需品でした。 しかし実用的な意味だけでなくて、 扇は儀式用としてもファッションとしても必需品でした。 基本的に檜の薄い板の扇ですが、 夏は骨に紙を張った扇にしたりとか場合によって使い分けがあって、 手に持っていない時でも大抵は懐中に入れていました。 ですから扇は、その人がいつも手にしてたもの、 身につけてたもの、という思いをかけることが出来るものだったわけです。 源氏物語にも、出会った男女がよく知らぬまま、 扇を交換して別れるという場面があります。 扇は「あふぎ」ですから、「逢ふ(あふ)」にも通じているのです。
この歌の、その扇をもらった女性は、
ここで男に何か決め手になる手紙を書こうと思ったのではないでしょうか。
昔は思いはやはり和歌で伝えるものですが、
みんな歌が上手なわけではありません。(笑) じゃあ、歌の上手な兼輔さんにお願いして、
ということで詠まれたような気がします。
「嬉しくて いとど行く末 わびしきは」・・・ 嬉しいのに、
先のことを思うとますます切なくて・・・ さすがですね!! でもこの歌の結果が
どうなったのか、それは分からないのです。
でも、まーここはいいお返事が来たと信じて(笑) 我々も、飽き風ではなくて、
爽やかな秋風を待ちたいですね。