今月は
2015年 6月は
今月は梅雨入りです。
やはり雨が続くというのはどうももひとつです。
これも日本の四季の変化には不可欠なものですので、
雨の味わいを楽しんでとか考えてはみるんですが、
やはり早く明けないかなというのが正直なところです。(笑)
梅雨は、昔は旧暦の五月ごろなので五月雨(さみだれ)だったわけですが、
でも梅雨の方は漢語ですから、漢詩では昔から梅雨でした。
辞書には、梅が黄色く熟するころの雨とあります。
なるほど、梅雨という言葉からは直ぐじめじめ暗いと出てしまいますが、
そう思い浮かべればまた趣があります。
梅を熟し、そしてもちろん米を稔らせる雨ということで過ごしていきたいです。
今月の金花糖は、梅雨にすっきりメニューで、わらび餅をいたします。
とっても美味しいわらび餅ですよ。
黒豆きなこと黒蜜がかかっています。
黒蜜は自家製です。お客様からも、この黒蜜は美味しいとお声をいただく特製の黒蜜です。
そして特製冷茶付き。
じめじめ気分にはすっきりと、ぜひ金花糖でわらび餅をご賞味くださいね 。
では、梅雨、五月雨(さみだれ)を詠んだ凡河内 躬恒(おうしこうちのみつね)の歌です。
躬恒さんは千百年前の歌人です。
郭公をちかへりなけうなゐこがうちたれがみのさみだれのそら
〔ほととぎす 復(お)ち返り鳴け 髫髪子(うなゐこ)が 打垂れ髪の 五月雨の空〕
ホトトギス 若返って鳴け 項(うなじ)くらいの髪の子の ぱらっと垂れた髪のような 五月雨の空。
髫髪子(うなゐこ)は、子供の一般的な髪型だった髫髪(うなゐがみ)の子という意です。
髫髪は、うなじあたりに髪を垂らしている、つまり肩くらいの長さの髪を言うようです。
実はこの歌の解釈は色々分かれます。
原因は、ホトトギスの鳴声の印象にあるように思います。
ホトトギスは、今はその鳴声を「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」とか聞きますが、
昔は小鳥が悲しみの叫び声を上げているように聞いていました。
つまりホトトギスは悲しい情感の溢れる鳥なのです。
でもそうすると、この歌の子供の髪型とはどうもつながってくれないわけです。(笑)
思うに、躬恒さんはホトトギスの 「キョッキョキョ」 みたいな鳴声が、悲しい声に聞こえるはずなのに、 五月雨の降っている空に一瞬 「キャッキャキャ」 という子供のはしゃぐような声に聞こえたのではないでしょうか。 正反対の印象ですね。 そしてその時、雨が子供の垂れ髪とつながったのです。 そこが詩人なんでしょうね。 子供の髪は張りがありますからね、さらさら、ぱらぱら。 年を取ると髪も張りが無くなってふにゃふにゃですから、詩人の想像力を持ってしても雨にはつながらないでしょう。(笑)
雨がしとしと続く頃は、普通はどうしても陰気です。 でも、「ほととぎす 復(お)ち返り鳴け 髫髪子(うなゐこ)が 打垂れ髪の 五月雨の空」、 ほととぎすさん若返って鳴いてくれ!! 五月雨を、陽気に歌った素敵な歌ですね。
次は、千年前の女房だった左近の歌です。小大君という名前でも知られている歌人です。 前書きがあります。
薬玉(くすだま)を女に贈り届けるということで、男に代って
つまり、この歌は左近さんが代作した、 今風に言えばプレゼントをする男のゴーストライターになって作った歌です。(笑)
ぬまごとに袖ぞぬれぬるあやめ草心ににたるねをもとむとて
〔沼ごとに 袖ぞ濡れぬる 菖蒲草(あやめぐさ) 心に似たる 根を求むとて〕
沼ごとに 袖が濡れてしまった ショウブの、私の心に似ている 根を求めようとして。
菖蒲草はショウブの古名です。
旧暦では五月雨の時節というのは、ちょうど五月の節句がある頃でした。
その時に、
薬玉(くすだま)といって袋の中に薬などを入れて玉にしたものに、
ショウブの根の長いものを付けて贈る風習がありました。
その根は長いほど縁起がいいとされたのですが、ショウブは水辺や沼地に生えているものですから、
取るときには泥々になって濡れて、なかなか大変でした。
そこでこの歌の意は、
沼を巡り、その沼ごとに私はぐっしょり濡れてしまいました、
あなたへの私の心の深さに合った長い根を探しましたので、となります。
うーん、あなたのためなら努力は惜しみません、
ラブレターにはよくある手かもしれません。(笑) でも長雨の頃ですから、
根を本当に自分が取りに行ったのなら(笑) 大変だったろうと思います。
たしかに恋をすると、日頃は考えられないようなことをしてしまいます。
まあ、
歌は才能が要るものですから、
代作はこの際大目に見ることに。(笑) 「袖ぞ濡れぬる 菖蒲草 心に似たる 根を求むとて」、
梅雨の空もなんのその!! 恋する人の思いが表れた歌ですね。
さあ、梅雨突入です。まあ、体調に無理はできませんが、気持は元気に行きたいですね。