今月は
2014年 6月は
初夏ですね。
今は過ごしいい時節なんですが今月は梅雨入り。
梅雨となれば、家でもずっと雨音が聞こえて、音が止むと窓を開けて見たり、
こういうのも風情なんでしょうけど、やっぱり梅雨はも一つというか、
まだ悟れないわけです。(笑)
梅雨が明けるときは、
昔の本にも 「雷鳴を以て出梅と為す」 とあるように、
強く降って雷が鳴って、ぱーっと晴れますね。
あの抜けたような感じは毎年すごく気持ちいいです。
それを楽しみに、じーっと我慢で(笑) 行くつもりです。
今月の金花糖は、梅雨にすっきりメニュー、わらび餅をいたします。
とっても美味しいわらび餅ですよ。
黒豆きなこと、黒蜜がかかっています。
黒蜜は自家製です。時折お客様から、
この黒蜜は美味しいとお声をいただく特製の蜜ですよ。
そして冷茶付き。
じめじめ気分にはすっきりと、ぜひ金花糖でわらび餅をご賞味くださいね
では梅雨、五月雨(さみだれ)を詠んだ俊成女(しゅんぜいのむすめ)の歌です。
見てもなほあかぬ夜のまの月かげをおもひたえたる五月雨の空
〔見てもなほ 飽かぬ夜の間の 月影を 思ひ絶えたる 五月雨の空〕
見てもなお 飽きることのない夜の間の 月の光を 思い・・・ 思いは絶えた 五月雨の空。
具体的なことは何も分かりませんが、梅雨の空の下、思いが切れてしまった。
まあ、たまたま梅雨の時だったのかもしれませんが、
でも薄暗いような日が続くと、やはり気持ちは落ちてきます。
じめじめしてるせいか、
年を取ると関節の調子が悪いとか(笑) とにかくあんまりいいことがないです。
すると心も弱りますね。
しかしそれにしてもこの歌は、
ほんとに具体的なことは全く出てこないのでかえって想像が浮かびます。
俊成女さんが、読んでいた手紙を持ったまま、じっと五月雨の空を見ているのです。
いつまでも飽きない月の光のように輝いていたその思いが、
梅雨空の色に変わった・・・ 思いが絶えた様子が、
月を雨雲がたちまち覆ってしまう眺めと重なって浮かびます。
この瞬間が歌になったと思います。
「飽かぬ夜の間の 月影を 思ひ絶えたる 五月雨の空」、
思いが絶えた、その時が何か劇的な場面のように浮かぶ歌ですね。
次は、やはり五月雨を詠んだ藤原良経の歌です。
そらはくもにははなみこすさみだれにながめもたえぬ人もかよはず
〔空は雲 庭は波越す 五月雨に 眺めも絶えぬ 人も通はず〕
空には雨雲、庭は水が入り込む 五月雨に 眺めも絶えた 人も通わない。
これはかなり大変な状態ですね。
「波越す」は、庭が海とか川みたいになっているということではないかと思います。
よく考えれば庭に川の流れとかを引いてあって、それで濁流で波もあるということなのかもしれないですが、
ここはとにかく庭が水につかってという意味であればよいのだと思います。
でもこの歌は、雨が大変でだからどうしようというのではなくて、
雨に全て閉じ込められてしまったような状態を、
逆に梅雨の趣として感じている歌のように思います。
空はたぶん全て雲で覆われてしまって、夜ならば月も見えず、
庭の花も、美しい眺めも消え、そして誰も来ない。
全てが閉ざされた。
今ならテレビもネットもありますから、この雨がいつ止むとか大体わかります。
でも昔は空も見えず人も来ないとなると、情報とか何も分からないのです。
そんな閉ざされた中では、自然に内省的になって、自分を見つめることになります。
良経さんは、きっとその最悪みたいな全て閉じた中でこそ見えてくるものを、
何か感じていたのではないでしょうか。
「眺めも絶えぬ 人も通はず」、梅雨の趣は外界から閉ざされることにあり。
天才歌人の世界を感じる歌ですね。
さあ、梅雨です。天才歌人のような心境には届かないですが、
梅雨も気持ちを落とさずに行きたいです。