今月は
2025年 1月は
明けましておめでとうございます。 年が明けました。 世の何もかもが新鮮になったように感じます。 江戸の俳句に元日や この心にて 世に居たし
とありますが、いやー本当にそんな気分です。 こんな気分ならば一年の誓いでも立ててみようかとなるわけです。 ただ、なぜかこの心は元日が過ぎるとともに薄らいで・・(笑) まー色々あって、 やっぱりお正月はいいものですね。
今年の金花糖は、春に25周年を迎えます。 開店した時は、ちょうどミレニアム、ミレニアムと騒がれた頃でした。 ミレニアムという言葉も今は懐かしいですが、 2025年、まさに四半世紀が過ぎたわけです。 その中で、年月の衰えは受け入れるしかありませんが、 それでも美味しかったのお声に元気をいただいて、なんとか続けることが出来るのが本当にありがたいです。 新しい年のスタート! またよろしくお願いいたします。
では、新年の後鳥羽天皇の御歌です。
いつしかとかすめる空のけしきにて行末とほしけさのはつ春
《いつしかと 霞める空の 景色にて 行く末遠し 今朝の初春》
いつのまにか 霞んでいるように見える空の 景色が はるかに遠くまで行く 今朝の初春。
新春を祝うおめでたい歌ですね。
昔は新年のような特別な日には、その自然を褒め称える歌を詠みました。
どういう自然が素晴らしいのかというと、例えば旧暦の新年は立春ですが、
その春が早くもなく遅くもなく、普通どおりに来る、それが素晴らしいおめでたいことなのです。
それは今でも分かりますね。季節は普通どおりに来るのが確かに一番です。
立春はもちろん今日から春という日です。
すると、なんとなく少しだけ春が出ている、それがおめでたいのです。
後鳥羽天皇の御歌では、「霞める空の」と詠まれています。
「・・める」は、・・のように見える、という意です。
つまり、空に春霞がかかっているわけではないが、何か霞んでいるように見える、春霞の兆候が見えると詠まれているのです。
立春に、それはおめでたいですね。
そしてその春の兆しが見えるような空が、「行く末遠し」、ずーっと遠くまで続いているのです。
これは壮大な景色です。さすが第八二代天皇の御歌は大きさが違います。
後鳥羽天皇の心に見えているのは、まさに日本の全てを包む大空なのでしょう。
「いつしかと 霞める空の 景色にて 行く末遠し 今朝の初春」、
新しい年、今年の日本に幸いあれ。
これはきっとそんな御歌ですね。
さあ、新しい年になりました。今年が素晴らしい年になりますように!