今月は
2018年 12月は
一年が経ちましたね。12月です。
今年はいかがでしたでしょうか。
今月は、いつも初めのうちは普通と変わらないのですが、
だんだんと加速するように何か気忙しくなってきます。
理屈ではいつものように日が過ぎて行くだけとか思うんですが、
年が変わる時に、
何か大きなものがどーっと動きそうなそんな気になってしまいます。
それで、
とにかく気がつけば大晦日です(笑) 金花糖もようやく、
あれやこれやと怒涛の一年が過ぎました。
金花糖は来年の春で丸19年、いよいよ20年目に入ります。
本当に、皆様のお蔭でここまで来ることができました。
今年も、本当にありがとうございました。
今月の金花糖は、冬のゆったりで静かな雰囲気です。
あれこれと気ぜわしい十二月ですが、
庭の冬景色を眺めながら、静かにくつろがれてはいかがでしょうか。
そして冬のメニューば、定番はやはりぜんざいです。
とにかくお餅は体も暖まって元気が出ます。
金花糖のぜんざいは、職人さんが手でペッタンペッタンついたお餅です。
そして餡は丹波大納言ですから、ほんとに美味しいです。
今月はぜひ金花糖で、ぜんざいをご賞味くださいね。
では、年の暮を詠んだ藤原定家の歌です。
定家は百人一首を作った人です。
春秋のあかぬなごりをとりそへてさながらをしき年の暮かな
〔春秋の 飽かぬ名残(なごり)を 取り添へて さながら惜しき 年の暮かな〕
この「さながら」は、そのままの状態で、そのまま全部という意味です。
春や秋の 飽きることのない名残を 取り添えて あるがままに全てを惜しいと思う 年の暮だなー。
この一年、悲しいこと苦しかったこと色んな事があったけど、
いつまでも飽きることがなかった素敵な思い出を取り合わせて、
そのままこの年の全てを惜しいと思った。
一年はもちろん人によって年によっても様々です。
でもやはり苦しいことばかりが頭に残りがち。
とにかく水に流せるものなら流したいと思うこともありますが、
大変だったことであっても、
過ぎてしまったことを振り返ると何か懐かしい。
定家さんは、簡単には水に流せないようなそんなことが残っても、
春や秋にはいつまでも飽きないほどの感動もあった。
だから年の暮にはそんな素敵な思い出も添えて、
その全てを思えば、
人の世の苦しいことの意味も違うものになるだろう。
そんな思いからこの一年を あるがままに惜しみ、そして新しい年を迎えよう、
と思ったのではないでしょうか。
「春秋の 飽かぬ名残(なごり)を 取り添へて さながら惜しき 年の暮かな」、
なかなか、あるがままにとは思えないものですが、定家さんは何か思うところがあったんでしょうね。
行く年を送る、素敵な歌ですね。
さあ、いよいよ年越し、今年もお仕舞いです。よいお年を !!