今月は
2011年 12月は
来ましたね、12月です。
年を取ると一年が早くなるとか言いますが、
早かったです。(笑) そして年末、聞いただけで忙しない感じです。
でも今は季節感が少なくなったと言われますが、
四季だけでなく年末もそうですね。
大掃除とかお正月料理の準備とかいっても、昔ほど大変なことはしなくなりました。
街も昔は、大晦日はどの店も早く閉まって、夜7時、8時になると本当にシーンとしたものでしたが、
もうそんなことはありません。
でもそうは言っても、忘年会で年を締めて、年末に帰省してきた顔を見れば、
やはり年の瀬の気分いっぱいになります。
一年の垢を流して、気持を入れ替えて、
年の瀬のそんな思いはやはり変わらないということですね。
金花糖も、なんとか今年もここまで来ました。
何かと気ぜわしくそして寒い時節ですが、
金花糖は12月も、ほんとに静かでゆっくりとしています。
そんな中でこの時期のおすすめといえば、やはりぜんざいです。
暖まって、ゆっくりとして、お餅で元気も出ます。
金花糖のぜんざいは、丹波大納言の餡に、手つきのお餅が入って、ほんとに美味しいです。
ぜひ今月は金花糖で、ぜんざいをご賞味くださいね。
では、雪を詠んだ俊成女(しゅんぜいのむすめ)の歌です。
花の色はかれにし秋の霜の枝にまたひらけたる雪の白菊
〔花の色は 枯れにし秋の 霜の枝に また開けたる 雪の白菊〕
花の色は 枯れていった秋の 霜の枝に また開いている 雪の白菊
ほんとに美しい歌ですね。
華やかな色で咲いていた花は、枯れて茶色になり落ちていった。
秋から冬になり、花のない枝は霜で真っ白になって、そして雪が降った。
霜の白い枝に、雪の白菊が咲いている。
雪がほんとに花みたいに、枝にふわふわとして積もっていることってありますね。
降ってきた雪が、枝に載っても溶けずに、そのままふわっと積もったような、
しかも雪が多すぎない、そんな時ではないでしょうか。
雪が枝に載っても溶けずにふんわり積もるためには、
枝が冷えてないといけないでしょうね。
そうでなければ、白菊は綺麗に咲かないでしょう。
俊成女さんの見た枝は、霜で白くなっていました。枝が冷えてたんですね。
そこに多すぎない雪が、ふわっと積もっていたのでしょう。
「枯れにし秋の 霜の枝に また開けたる 雪の白菊」、
何度読んでも、美しいと思う歌ですね。
次は、大晦日に詠まれた藤原俊成の歌です。俊成、八十八歳のときの詠です。
けふごとにけふやかぎりとをしめども又もことしにあひにけるかな
〔今日ごとに 今日や限りと 惜しめども またも今年に 逢ひにけるかな〕
大晦日の今日ごとに 今日が限りと 惜しむけれども またも今年に 逢うことになったなー
一見なにげない歌です。
しかし八十八歳、米寿の歳の歌となれば話は全く違いますね。
こういう歌を詠んでいるということは、八十八歳でも、
ぼんやりとかになっていなかったということです。
そう考えれば、おめでたい、ありがたいと思うような歌と思います。
そして、俊成が生きた時代は平安の終わり頃です。
この歌を詠んだころに、鎌倉幕府ができたのでした。
まさに動乱の時代です。
武士の世に変わる時代となれば、貴族であった俊成の思いはどんなものだったのでしょうか。
「今日や限りと 惜しめども またも今年に 逢ひにけるかな」、
生きた時代、そして八十八歳の重みが込められて、心に響く歌ですね。
さあ、今年もおしまいです。また逢う年に向けて、元気に行きたいです。
よいお年を!!