今月は
2016年 10月は
暑い暑いと思っていたら、雨が降ってまた降って大変でしたが、だんだんと秋らしくなってきました。
今月はとにかく気候がもっと落ち着いて、秋晴れをいっぱい見たいですね。
でも今の時節は、とにかく暖房も冷房もいらないですから、それはほんとに過ごしやすいです。
ここ金沢は北陸ですから寒いのは寒いんですが、夏の暑さもそれなりにあって、
今年は日本一暑いのが金沢という日が一日ありました!! たしかに珍しいのでちょっと驚きましたが、
金沢も暑い日は暑いです。
だから春は暖房器具を片付けるとすぐに冷房みたいになりますが、
今はゆっくりと過ごしやすい時節をたのしめます。
何とかの秋で、色々いっぱい楽しみたいものですね。
金花糖も今月は、すっかり秋らしく庭の眺めも静かな雰囲気です。
そんな秋の落ち着いた気分には、 紅茶あんみつはいかがでしょうか。
紅茶あんみつは、 濃いめアールグレーで作った紅茶寒天が主役のあんみつです。
ベースに紅茶寒天がたっぷり入ります。
そしてその上に丹波大納言の餡と、自家製アイスが載っています。
色どりに生クリームと苺やキウイが添えられ、大変固定ファンの多いメニューです。
特製の白蜜も付きますので、お好みの甘さで紅茶寒天の味わいを楽しんでいただけます。
今月は金花糖で、ぜひ紅茶あんみつをご賞味くださいね。
では、秋萩を詠んだ橘則長(のりなが)の歌です。前書きがあります。
家に咲いている花を、ある人が乞い求めましたので詠みました。
おくつゆにたわむえだだにあるものを如何でかをらんやどの秋はぎ
〔置く露に 撓む枝だに あるものを 如何でか折らん 宿の秋萩〕
置いた露に しなりながら耐えている枝まで ほんとにあるのですから どうして折るでしょうか 庭先の秋萩。
ま、要は断ったわけです。(笑) この花は、露の重みにも、
撓んで折れそうになりながら耐えているのです。
そんな健気な花を私は折れませんよ。
こんな風に言われたら、それでも無理にとは言えませんね。
これでまだ欲しいなんて言ったら、
それこそ血も涙もない人みたいになりそうです。(笑)
昔の人はほんとによく歌を詠みました。
それは文学作品を作るというより、まず何よりも思いを伝えるためでした。
それは、歌でこそ深い思いは表わすことができる物ということで、
だから歌で自分の思いを残し、歌で相手に伝えたのです。
嬉しいとき、哀しいとき、その時々いろんなことはありますが、
普通にはほんとにどう言えばいいのか分からないような場合があります。
でも歌でなら、そんな時でも思いを伝えられたのです。
庭の秋萩を分けてほしいという人に、だめです、出来ません、とも言いにくいものでしょう。
そこで則長さん、歌を詠んでお答えしたわけです。
「置く露に 撓む枝だに あるものを 如何でか折らん 宿の秋萩」、
上手いですね。でもこう言えたのも、則長さんが日ごろその萩をよく見ていて、
慈しむ気持があればこそと思います。
庭の花に対する思いと、相手との駆け引きが面白い素敵な歌ですね。
次は、秋の月を詠んだ慈円の歌です。
いつまでか涙くもらで月は見し秋まちえても秋ぞ恋しき
〔いつまでか 涙曇らで 月は見し 秋待ち得ても 秋ぞ恋しき〕
いつまでだったろうか 涙に曇らないで 月は見ていた。秋を待ち終えて秋は来ても 秋が恋しい。
何があったのかよく分からないけれど心に残りますね。
いつの頃からか、秋の月が涙で曇るようになった。
毎年来る秋を待ち、秋が来る。そしてやはり昔のあの秋が恋しいと思う。
「秋待ち得ても」 は、秋を来るまで待つことができても、という意です。
とにかくこの歌は、具体的なことは何も分からない。
でも 「秋待ち得ても 秋ぞ恋しき」、この言葉がなぜか心に掛かってきます。
必ず季節は廻ってくる、
だから昔の秋を戻せたらと望みを持ち待ってしまうのでしょう。
またこの歌は具体的ではないからこそ、
何か自分に引き寄せて読んでしまうような気がします。
秋でなくても何か 「・・・待ち得ても ・・・ぞ恋しき」、こんな思いは誰にもあるのではないでしょうか。
年を経ていろんなことが心に積もり、そして恋しいと思うのです。
慈円さんはそれが秋であり、月を見ると浮かぶものがありました。
「いつまでか 涙曇らで 月は見し 秋待ち得ても 秋ぞ恋しき」、
自分の通ってきた年月のいろんなことが浮かぶような気がします。
心を揺らす素敵な歌ですね。
さあ、
食欲の秋、行楽の秋、読書の秋、もの思いの秋・・・ このさい何かまとめて楽しめませんかね(笑)