今月は
2018年 1月は
明けましておめでとうございます。
新しい年、やはり気持ちがいいですね。
古い年を抜けて、新しい年に入った、その感覚から分かりませんが何か湧いてくるのでしょう。
そして初詣に行って、神様にもお願いして気分もすっきり。
これは何十回やっても、やっぱりいいものですね。
金花糖は、今年で19年目に入ります。
全くの経験ゼロから初めて、よくここまで続いたと思います。
本当に皆様のお蔭です。
そして金花糖は、餡やアイスをはじめ手作りにこだわってまいりましたが、
決まった作り方にこだわってきたわけではありません。
もちろん昔から伝わったものとかも無いですから、
いつも工夫をして少しずつでもより美味しいものを作っていく、
そういう手作りをしてまいりました。
本年もそのままに、そして心新たにがんばっていきたいと思います。
またよろしくお願いいたします。
では、屏風絵の新年の宴会の様子を詠んだ藤原輔尹(すけただ)の歌です。
むらさきもあけもみどりもうれしきははるのはじめにきたるなりけり
〔紫も 緋(あけ)も緑も 嬉しきは 春の初めに きたるなりけり〕
紫も 緋も緑も 嬉しい様子なのは、春の初めに 着て来たのですね。
この紫や緋は、服の色です。
ちなみに緋は、黄みのある赤色です。
やはり新春、年の初めにちゃんとした服を着てというのは、なにか嬉しい感じですね。
昔は、位によって公式の時などに着る服の色が決まっていました。
この歌にある色はまさにその位を表す色ですから、
昔の人はこれで服の色だということが分かったわけです。
位は、一位から八位まであって、一位二位の人が大臣をやり、
三位四位の人が大納言中納言や大将中将をやるとか、位によって与えられる役職も違うわけです。
そして、紫の服を着るのは一位二位三位の人です。四位五位が緋、六位が緑となります。
それより下の位ですが、なぜかそれらの位は使われず事実上無かったそうです。
ということはこの歌の、紫、緋、緑、これで全部です。
高い位の人も低い位の人も、みんな何か嬉しそう、ということなのです。
加えてこの歌は、紫の服とか位の高い人とかそういう言葉はなくて、
いきなり 「紫も 緋(あけ)も緑も 嬉しきは」 と、
まるで色そのものが嬉しいかのような言い方で詠まれています。
でもそれで、その色自体の動きにまで嬉しさが表れているような、
そんな感じがします。
「紫も 緋も緑も 嬉しきは 春の初めに きたるなりけり」、
やっぱりお正月はいいなと、そういう気分がいっぱいの歌ですね。
次は、雪を詠んだ俊成女(しゅんぜいのむすめ)の歌です。
ひとやたれやどはいづくとうづもれし木の葉に雪の猶積るらん
〔人や誰 宿は何処(いづく)と 埋もれし 木の葉に雪の 猶(なほ)積るらん〕
あの人は誰 家は何処と 埋もれた 木の葉。その上に雪は もっと積るのだろうなー。
この木の葉は、今は雪の下で見えなくなっている木の葉でしょう。
でも雪が積る前には、木の葉が地面にいっぱいあったのを見ています。
それをすっかり埋めつくして、その上に雪はまだ積るのか、という思いです。
まだ積るのか、こういう感覚はよく分かります。
ここ金沢でも今は除雪の機械や設備が様々にあって、
大雪といっても生活に影響するのは一時的なものです。
昔は、思い出してみると子供の頃も大雪になると大変でした。
道路は街でも車の通る幅だけがあいていて、
普通の道は、歩けるのは踏み固められた歩く幅だけでした。
毎朝学校に通うのに、
大雪の日は通れる幅が狭いので道は長い行列になりました。
学校の窓から見ると、一面の雪の中、長い行列がずーっと続く線のように見えました。
降り積る雪には、耐えるしかありません。
昔は 「金沢で育って・・・」 と言うと、
お決まりのように 「北国の人は粘り強いから」 と言われました。
そうなるしかなかったのでしょう。
いつまでも降り続く雪・・・ こんなとき自然は無情です。
「人や誰 宿は何処(いづく)と 埋もれし 木の葉に雪の なほ積るらん」、
埋め尽くした上にまだ降ってくる。
そんな雪の光景を見事に詠んだ歌ですね。
さあ、新しい年の始まりです。いい事がいっぱいありますように!よい年になりますように!