今月は
2016年 12月は
今年もここまで来てしまいました。
しばらくすると、今年はどんな年だったでしょうかとか年末恒例の言葉が聞かれることになりますね。
過ぎてみれば短いように感じるものですが、
金花糖もなんだかんだしているうちに一年が過ぎました。
でも、寄る年波にもかかわらず、
このなんとなく過ぎてくれたことが有り難いことなのかもしれません。
餡子を炊くだけでも体力が必要ですが、そのほかアイスクリームや寒天など材料を作ることも含めて、
やはり健康であってこそと思いながら日々を過ごしています。
なんとか体力を保って来年も行ければと思います。
今年は、本当にありがとうございました。
今月の金花糖は、ゆったりで冬の静かな雰囲気です。
あれこれと何か気ぜわしい十二月ですが、庭の冬景色を眺めて、
静かにくつろがれてはいかがでしょうか。
そして冬のメニューといえば定番はやはりぜんざいです。
なんといってもお餅は体も暖まって元気が出ます。
金花糖のぜんざいは、手でペッタンペッタンついたお餅ですよ。
そして餡は丹波大納言。ほんとに美味しいです。
ぜひ12月は金花糖で、ぜんざいをご賞味くださいね。
では、初雪を詠んだ詠み人しらずの歌です。
霜のうへにふるはつゆきのあさ氷とけずも物を思ふころかな
〔霜の上に 降る初雪の 朝氷 とけずも物を 思ふころかな〕
霜の上に 降る初雪の 朝氷が 溶けない・・ あの恋しい人とも打ち解けない・・ 物を 思う頃だなー。
朝氷は、寒い朝に出来ている薄い氷、
日が少し高くなると溶けてしまうような薄氷です。
寒い時節に川や池に見えるわけですが、
地面の水溜まりに出来ると朝には踏むとパリパリと音がして、よくありますね。
でもついに初雪が来て、それが霜の上に降って出来た朝氷は冷えきっていて溶けなかったのです。
いよいよほんとに冬です。
しかし恋の物思いにはまりこんだ詠み人しらずさんは、冬のことよりも、
とにかく何を見ても恋しい人が浮かんでしまいます。
冷え切っていて溶けない、そう言えば冷たいあの人と打ち解けない、となるわけです。
なかなか大変です。(笑)
また、詠み人しらずさんが 「とけず」 という言葉に敏感に反応してしまったのにはも一つ理由があります。
昔は紐の結びが、特に下着の紐の結んであるのが自然に解けていると、
それは相手が自分のことを思っているとか、恋しい相手と逢える前兆という俗信がありました。
だから日頃、紐が解けてないかと、いつも気にしているのです。
すると朝氷が溶けていないのを見ても、まだ紐は解けてないなーとか悩むことになるわけです。
ま、大変です。(笑) 「霜の上に 降る初雪の 朝氷 とけずも物を 思ふころかな」、
冬が来たという思いにも、やはり恋しい人への思いが重なってしまう。
恋する人の、素敵な初雪の歌ですね。
次は、年の暮を詠んだ源重之の歌です。
ゆきつもるおのが年をばしらずしてはるをばあすときくぞうれしき
〔ゆき積もる 己(おの)が年をば 知らずして 春をば明日と 聞くぞ嬉しき〕
ゆき積もる 自分の年のことは 悟れないままに 初春が明日と 聞くのが嬉しい。
「ゆきつもる」は、雪積もる、年が行き積もる、
また頭に雪が白髪が積もるという意もあるのではないでしょうか。
誰でも、新しい年が来て一つずつ年を取っていくことは、よく分かっています。
ですが、それで来る自分の老いは、
まさにある時が来て気付く、そこまで来なければ分からないというのが実感です。
まだ大して変わってないと思っていた髪の毛が、気が付けば、
こんな年寄みたいになったのかと思うわけです。
本当は、日々刻々と老いているはずです。
でもそれは見えず知らず、なぜかそうは思えないままに1年も過ぎて行く。
そしていよいよ年が明けると、気持もあらたまって冬が過ぎて春が来る、やはり嬉しくなるのです。
まあ老いが日々来ていることは、気が付かなくていいのであって、
そんなことがいつも見えていたら誰も精神的に大変かもしれません。
年が行くのに気付かないからこそ新年も楽しめるのでしょう。
「ゆき積もる 己が年をば 知らずして 春をば明日と 聞くぞ嬉しき」、
新しい年が来るのを嬉しいと思える、それは有り難いことだ、
この歌は、ひょっとしてそういう意味があるのかもしれませんね。
さあ、今年ももう少しでお仕舞い。よいお年を !!