今月は
2016年 5月は
いい季節になりました。
今月はなんといってもゴールデンウィークですが、
5日の子供の日が立夏です。
そして春から夏にかけての金沢は、そろそろストーブを片付けようかとか迷う頃です。
暖房も冷房もいらないという時期は、金沢では割と短いですし、
今の時節は本当にありがたいです。
それでお休みが多いわけですから、
まあ言うことはありません。(笑) ゆっくりと、十分に楽しみたいですね。
今月は金花糖も、五月の趣で、端午の節句ということで兜を飾りましてお迎えいたします。
そして暑くもなく寒くもなくのこの時節、 メニューには紅茶あんみつはいかがでしょうか。
紅茶あんみつは、濃いめアールグレーの、紅茶寒天が主役のあんみつです。
まずベースに紅茶寒天がたっぷり入ります。
その上に丹波大納言の餡と、自家製アイスが載せられて、
色どりに苺、キウイと生クリームが添えられています。
固定ファンも多い、大好評のメニューです。
特製の白蜜も付きますので、お好みの甘さで紅茶寒天の味わいを楽しんでいただけます。
今月は金花糖で、ぜひ紅茶あんみつをご賞味くださいね。
では、春の花を詠んだ藤原長実(ながざね)の歌です。
春ふかみかみなびがはにかげみえてうつろひにけりやまぶきの花
〔春深み 神奈備川(かみなびがわ)に 影見えて 移ろひにけり 山吹の花〕
春も深いので 神奈備川に 写る姿が見えて 散って行くのです 山吹の花。
「春深み」は、春ももう多くの日が経ったからという意味で、
山吹の花が咲くころになったということですね。
山吹は昔の歌では、水に写る姿がよく詠まれます。
思うに、一つはあの山吹色が水に映えるからではないでしょうか。
水には当たり前ですが何でも写るわけですが、その姿は少し薄くぼんやりになります。
しかも川底は茶色とかグレイのような色です。
でもその中で、あの山吹色はやはり目立つ色でしょう。
水に写った山吹は、他のものより引き立って映えるのだと思います。
そしてまた、山吹は茎が柔らかくたわむようになりますから、
水辺では花は川の方を向いて咲いています。
そうなると山吹はやはり水に写る姿に目が行くものと思います。
「神奈備川に 影見えて 移ろひにけり 山吹の花」、
川面に写る山吹を見た、そこに山吹色が散っていく光景が見えた。
きれいだったでしょうねー。
春も深いころ、神奈備川の情景を詠んだ美しい歌ですね。
次は、過ぎて行く春を詠んだ藤原定成の歌です。
いくかへりけふにわが身のあひぬらんをしきは春のすぐるのみかは
〔幾返り 今日に我が身の 逢いぬらん 惜しきは春の 過ぐるのみかは〕
いく度 今日に 我が身は 逢うことになったのだろう 惜しいと思うのは春の 過ぎることだけなのだろうか。
旧暦では、春は立夏の前日で終りです。
立夏は旧暦ではおおよそ四月一日になりますから、
普通は三月末日で春が終るとしました。
そこで昔は春の終りに、春を惜しむ歌を詠んだのです。
春の最後の日、それを自分が惜しいと思うのは、ただ季節と別れるからだけなのだろうか・・・
今の我々は、
今日で春が終りとか暦で決めるのは不合理なように思ったりしますが、
暦では、春分を春の中心と考え、夏至を夏の中心としています。
そして立夏は、春分と夏至のちょうど真ん中の日です。
ですから立夏が過ぎると、まだ暑くはないですが、
昼と夜の長さは確かにもう夏に近いのです。
今のような人工的な光がなかった頃は、
季節は、気温だけでなく昼夜の長さも大きな要素だったのではないでしょうか。
そう思えば、立夏で春も終りという考え方には理があるわけです。
それにしても定成さんが、
春との別れに 「惜しきは春の 過ぐるのみかは」 と詠んだのは何だったんでしょうか。
これはほんとに想像するしかないのですが、
「幾返り・・・」 とありますから、
とにかく若い頃に何か春に特別な思い出があったのだろうと思います。
それが恋の思い出とかならドラマチックになるんですが。(笑)
でも誰にも、ある時に、人生の特別な思い出というのはあるのではないでしょうか。
その季節が終わる度に、思い出の時も遠くなって行く。
「幾返り 今日に我が身の 逢いぬらん 惜しきは春の 過ぐるのみかは」、
季節が過ぎさって行く時、季節と共にあった人生の1コマもまた過ぎて行く。
春の終りに、人生のいろんな思いを誘う歌ですね。
さあ、春も過ぎて初夏になってきます。身も心も、さわやかに行きたいですね。