今月は
2017年 12月は
来ましたね、12月です。いやあ1年が経ちました。
どんな1年を過ごされましたでしょうか。
済んでみれば不思議なくらい早いと思うんですが、
色々やっている最中は早く1週間が経ってほしいとか、
早く来月にならないかとか思うようなこともあったので、
こういう時間の感覚はほんとに不思議な気がします。
そして、あっと言う間に金花糖も、来年は19年目に入ります。
今までと変わらず、こつこつと手づくりの美味しさを続けてまいります。
これからも、よろしくお願いいたします ≦(__)≧
今月の金花糖は、冬のゆったり静かな雰囲気です。
あれこれ気ぜわしい十二月ですが、
庭の冬景色を眺めて、静かにくつろがれてはいかがでしょうか。
そして冬のメニューといえば、定番はやはりぜんざいです。
とにかくお餅は体も暖まってそして元気が出ます。
金花糖のぜんざいは、職人さんの手でペッタンペッタンついたお餅です。
餡は丹波大納言ですから、ほんとに美味しいです。
12月はぜひ金花糖で、ぜんざいをご賞味くださいね。
では、あられを詠んだ大江公資(きんより)の歌です。
すぎのいたをまばらにふけるねやのうへにおどろくばかりあられふるらし
〔杉の板を まばらに葺(ふ)ける 寝屋の上に 驚くばかり あられ降るらし〕
杉の板を まばらに屋根に葺いてある 寝屋の上に、はっと目が覚めるくらい あられが降ったらしい・・・。
ここ金沢でも毎年雪が積もります。
でも初めのうちは、たいてい雪が降り出してもあまり積もらないで消えてしまいます。
しかしこの歌のように何かすごい音であられが降ってきたら、もうだめです。
あられはしばらくでそのまま雪になり、積もります。
本当に冬が来たのです。
屋根は今は瓦が多いですが、思い出してみると子供の頃でも板の屋根の家がけっこうありました。
瓦より大きい感じの板を並べて、飛ばないように大きめの石が置いてありました。
平安の頃は、瓦は特別なもので、板の屋根が多かったようです。
板は雨が漏らないように重なりながら並べられていて、
そして高級な屋根ほど板の重なり方が大きいのです。
ですから立派な家の屋根は、トランプを重ねてずらせたように板が何重にも重なっていて、
竹釘で板は留められています。
この歌にある屋根は、板が 「まばら」 なんですが、
本当にまばらなら雨がどんどん漏れてしまうので(笑) これは板の重なりが僅かしかない薄い屋根ということなのでしょう。
あられがそんな屋根に降ったら、それは目も覚めるかもしれません。
そして、いよいよ冬だ、という思いが浮かんだのではないでしょうか。
「杉の板を まばらに葺(ふ)ける 寝屋の上に 驚くばかり あられ降るらし」、
あられが降るのは、地上が寒いときです。
そして雪が降ると溶けないで積もります。
冬が来た、まさにそれを告げるような歌ですね。
次は、藤原良経の歌です。
歌の題は、歳暮。
今は歳暮というと年末の贈り物の意味ですが、
昔は文字どおり、年の暮れです。
春をまつ花のにほひもとりのねもしばしこもれるやまのおくかな
〔春を待つ 花の匂ひも 鳥の音も しばし籠(こも)れる 山の奥かな〕
春を待つ 花の匂いも 鳥の音も もうしばらく籠っている 山の奥。
あの山の奥に、新しい春がもう少しだと出番を待っているのだ、という思いですね。
旧暦では、一月一日がほぼ立春になるようになっています。
ほぼ、といっても年によって前後15日の範囲でばらつきがありますから、
かなり大きいほぼです(笑) それでも今は立春が2月ですから、
お正月に新春と言ってもも一つ形式的な感じですが、
旧暦の時はお正月が来るとまさに新しい春が来たわけです。
昔は冬は本当に大変でした。
暖房も今のようなものはありませんから、とにかく服を何枚も重ね着するしかありませんでした。
そして、目を楽しませてくれる美しい草花も枯れ果て、
鳴いてくれる鳥も、
昔の人が大好きだったホトトギスの声もウグイスの声もありません。
とにかく早く春が来てほしい、
今でさえ思いますから(笑) 昔はまさに春が待ち遠しい、
そう思いながら冬に耐えていたのだと思います。
この歌で良経さんは、
花の匂いや鳥の音が山の奥に籠っていると詠みました。
昔の人にとって山は、神に通じる所です。
鳥の音はもちろん鳥が鳴いて聞こえるものですし、花の匂いは花が咲いて出るものですが、
その春の全ては、大自然の春の神が掌(つかさど)っているのです。
良経さんは、今そんな春が、神の威によって山の奥に待っているような気がしたのではないでしょうか。
「春を待つ 花の匂ひも 鳥の音も しばし籠れる 山の奥かな」、
花も鳥も、今か今かと待っている。
まさに、新春を待つ思いがいっぱいの歌ですね。
さあ、今年もおしまいです。よいお年を !!