今月は
2012年 9月は
暑いです。お盆くらいからは朝晩はやはり少し違いましたけど、それでも暑いです。
でも暑さ寒さも彼岸までとか、
今年は9月19日がお彼岸ですから、もうしばらくということでしょうか。
もう折々に秋の空が見えます。夜も遅くなると虫の音が聞こえます。
今月も後半になれば、虫の音ももっとやかましいほど聞こえるんでしょうね。
でもそういえば秋の夜長、読書のときに虫の音がやかましくて邪魔になるとか、
そんな風に思ったことはないような。
ほんとに邪魔になるほど鳴いてる場合もあるのでしょうが、
小さな音でも夏の蚊の飛ぶ音はすごく気になります。
虫の音はなぜかあまり邪魔にならない音なのかも。
読書の秋とか言われますが、きっとそういうこともあって言われるんでしょうね。
金花糖も、今月は秋への変わりめです。
庭の景色もだんだん秋らしい色になって、雰囲気も少しずつ落ち着いた感じになってきます。
メニューも、暑いうちは氷とくずきりの夏メニュー、
暑さがおさまったころから、白玉ぜんざいを始めます。
丹波大納言の餡に、つるつるの白玉のぜんざいです。
秋は、雰囲気いっぱいの金花糖で、ぜひ白玉ぜんざいをご賞味くださいね。
では、夏の終わりを詠んだ壬生忠峯(みぶのただみね)の歌です。
なつはつるあふぎと秋のしら露といづれかまづはおかむとすらむ
〔夏果つる 扇と秋の 白露と いづれか先ずは 置かむとすらむ〕
夏が時を経て終わりとなる扇と、秋の白露と どちらが先に 置きそうなのだろう。
正直なところ、どちらが先でもいいと思うんですが。(笑)
白露は、草の上などの白く見える露を云います。
昔は、露が下りる、付くというのを、置くという言い方をしました。
そして扇は、夏はもちろん手放せないもの。
いつも持っていて扇いでたのでしょう。
その扇と露を、置くという言葉でつなげると、
歌の意味としてはどうでもいいようなものなのに(笑) この頃の気分、
つまり秋の気配が見えてはいるけれどまだ暑いような、
そういう感じがすごく表れています。面白いものです。
忠峯さんの歌人としての感覚でしょうか。
「夏果つる 扇と秋の 白露と」、
もう秋は見えている・・・ まだ暑いけど、もうすぐ扇も置かれるのだろう。
ちょっと落ち着かないような、時節の変わり目の気分を見事に表わした歌ですね。
次は、小野小町(おののこまち)の歌です。
小野小町と言えば美人の代名詞。
現代でも何々小町とか言われるわけですから、
ほんとに代名詞ですね。
秋の夜もなのみなりけりあひとあへばことぞともなく明けぬるものを
〔秋の夜も 名のみなりけり 逢ひと逢へば ことぞともなく 明けぬるものを〕
秋の夜も 名前だけですね。 逢いに逢ってたので なんてこともなく 明けてしまうものですが。
秋の夜長と言うけれど、男と逢っていれば簡単に明けるというわけで、
さすが小野小町さん!! すごいこと言ってます。(笑) 「逢ひと逢へば」って、
まあ燃えてたってことなんでしょうね。(笑) 小野小町さんなら
相手の男の人も舞い上がったようだったのかもしれません。
だからこの歌は、やっぱり小町さんだから一層面白い、そういう歌だと思います。
小野小町は、絵も後姿で描かれたりしてますよね。
そういえば清少納言さんはこんなことを言ってます。
絵に描き劣りするもの、・・・ 桜、物語にめでたしと言ひたる男、女。 〔枕草子〕
(絵に描くと見劣りするもの、・・・ 桜、物語に素晴らしいと言っている男、女。)
たしかに。もうそうなれば後姿で描くしかないわけです。
それでますますこの歌も、小野小町さんなら・・・ と、ひとりでにいろんな想像が湧いてしまいます。
「逢ひと逢へば ことぞともなく 明けぬるものを」、なるほど!! なぜか納得の歌ですね。(笑)
さあ、だんだんと秋の夜長になってきます。我々は読書でも。(笑)