今月は
2014年 10月は
秋まっ盛り、いい時節ですね。
さてここ金沢では、暖房も冷房も要らないという時期はほんとに短いです。
春から夏にかけては、
暖房が終わるとすぐに冷房をかけているような気がします。(笑) たしかに年とともに、
暑さにも寒さにも弱くなっています。(笑) だから金沢で
暖房も冷房もなしの時期がゆっくりあるのは、ほんとに今ぐらいかもしれません。
晴れると、空もほんとにきれいです。
行楽によし、読書またよし、そして秋刀魚、松茸と秋の味覚あり。
ほんとにいっぱい楽しめる月ですね。
金花糖も、今月はすっかり秋らしくなって静かな雰囲気です。
そんな秋の落ち着いた気分には、 紅茶あんみつはいかがでしょうか。
紅茶あんみつは、 濃いめアールグレーの紅茶寒天が主役のあんみつです。
ベースに紅茶寒天がたっぷり入って、そこに丹波大納言の餡と、自家製アイスが載っています。
色どりとしては生クリームに苺とキウイが添えられて、とっても固定ファンの多いメニューです。
特製の白蜜も付いていますので、お好みの甘さで紅茶寒天の味わいを楽しんでいただけます。
今月は金花糖で、ぜひ紅茶あんみつをご賞味くださいね。
では、秋を詠んだよみ人知らずの歌です。
君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫のねぞかなしかりける
〔君しのぶ 草にやつるる 古里は 松虫の音ぞ 悲しかりける〕
あの人を偲ぶ、忍ぶ草も生えて荒れてしまった 古里は 松虫の音が 悲しいのだなー。
昔の松虫は今の鈴虫で、昔の鈴虫が今の松虫だそうです。
ほんとうでしょうか。(笑) ややこしいですね。
だからこの歌では、リーンと鳴いていたわけです。
そして松虫は、待つ虫ですから、
誰かを待って リーン、リーン、と鳴いているような思いが浮かんだのではないでしょうか。
たしかに悲しくなりますね。
忍ぶ草は今のノキシノブです。
ノキシノブは、古い家の屋根などに生えている草ですね。
あれは、いかにも放置されたまま古くなったという感じがします。
古里は、昔のあの人との思い出の場所、通っていた家だったのかもしれません。
そういう所がノキシノブが生えて荒れはてているのを見ると、
それは寂しいものでしょうね。
忍ぶ草で寂しい、松虫で悲しい、もうよみ人知らずさんの気持ちは大変なことになったわけです。
「草にやつるる 古里は 松虫の音ぞ 悲しかりける」、加えて今は秋です。
するとこの時節の雰囲気が、また輪をかけて気持ちを悲しくさせてしまったのではないでしょうか。
まさに、秋の感傷的な雰囲気がいっぱいの歌ですね。
次は、晩秋を詠んだ藤原俊成の歌です。前書きがあります。
我が身の満たされない思いの百首歌を詠みましたときに、
虫の歌と思って詠みました。
さりともとおもふこころもむしのねもよわりはてぬる秋のくれかな
〔さりともと 思ふ心も 虫の音も 弱り果てぬる 秋の暮かな〕
そうであってもと 思う心も 虫の音も すっかり弱くなってしまった 秋の暮だなー。
「さりともと 思ふ心」は、今まではそうであっても、
自分の身の上も今からはまた違うものになるかもしれないと、望みをつなぐ思いです。
「秋の暮」は、晩秋の意と、秋の夕暮の意があります。
秋も深くなってくると、虫の音はだんだん小さくなり、
途切れ途切れになったりして弱くなってきますね。
夜も少しずつ寒さが来るようになって、虫も耐えられず弱ってきたのでしょう。
そして俊成さんの、望みをつないでいる心も弱りきってしまったのです。
でもこれは虫の音を聞いてそうなったというよりも、それが秋の季節ということなのかもしれません。
今は、秋と言えば秋晴れとか行楽の秋、食欲の秋など楽しいことが浮かびます。
でも昔は、秋と言えばまず何よりも悲しい寂しい季節でした。
秋は衰えて行く季節です。
日の光は日に日に弱くなり、草はだんだんと枯れ、
木の葉は落ちて行く。
昔の人は、やはり今よりも季節とともにあったのだろうと思います。
秋が深まると、虫が弱っていくのと同じように、自然に俊成さんの心も弱くなったのではないでしょうか。
「さりともと 思ふ心も 虫の音も 弱り果てぬる 秋の暮かな」、俊成さんは立ち直れたんでしょうか。
記録によれば藤原俊成は平安末期の1114年生まれですが、なんと八十九歳まで生きられたそうです。
当時としてはものすごい長寿です。
まあ、秋がどんなに寂しくても、
春になればちゃんと立ち直るのでしょう。(笑) めでたし、めでたしということで・・・
さあ、秋の盛りです。我々は秋も元気にということで、いっぱい楽しみたいですね。