今月は
2013年 5月は
先月は桜は早く咲いたのですが、寒かったですね。
冬と変わらないみたいな日もけっこうありました。
でもいよいよ5月です。今月こそは気候もよくなってほしいですね。
そして5月は風薫ると言われます。調べてみましたら、
これは木のそばなどで、その風が花や草葉の薫りがするという意味でした。
それだけ花がいっぱい咲き、新しい草や葉も多く生えてくる月ということになります。
いいですね。やはり今月は、気持のいい時節になりそうな。
連休もあって、いっぱい楽しめる月ですね。
今月の金花糖は、端午の節句ということで、兜を飾り五月らしいしつらいでお迎えいたします。
そして寒さが過ぎてまだ暑さも来ない、ちょうどの時節に、
メニューは紅茶あんみつはいかがでしょうか。
紅茶あんみつは、濃いめアールグレーの、紅茶寒天が主役のあんみつです。
ベースに紅茶寒天がたっぷり入り、
その上に丹波大納言の餡と、自家製アイスが載せられています。
色どりとして生クリームに苺とキウイが添えられ、固定ファンも多い大変好評のメニューです。
特製の白蜜が付きますので、お好みの甘さで、紅茶寒天の味わいを存分に楽しんでいただけます。
今月は金花糖で、ぜひ紅茶あんみつをご賞味くださいね。
では、この時節の花を詠んだ紫式部の歌です。前書きがあります。
八重山吹を折って、ある所にお送りしましたら、
一重の山吹の散らないで残っているものをよこされましたので
をりからをひとへにめづる花の色はうすきをみつつうすきともみず
〔折からを ひとへに愛づる 花の色は 薄きを見つつ 薄きとも見ず〕
今ちょうどの季節に、 一重の、ひたすら美しいと思う 花の色、 薄い黄色を
見ていながら 薄き心とは見えません。
紫式部さんが贈ったのは八重山吹で、お返しに来たのは一重の山吹なのですが、
一重の色は八重のより黄色が薄いのです。
そこで式部さんは、「薄きを見つつ 薄きとも見ず」 花の色の「薄黄」を見ているのですが、
あなたの心は「薄き」とは思えません、と詠んでお返ししたわけです。
さすが、上手いですね。
ちなみに、この時代に「薄黄」という言葉はあまり出てこないのですが、
枕草子には「薄黄ばみたる雲」とあります。
それにしても昔の人は、こういう歌で気持ちを伝えあっていたわけで、ほんとに素敵ですね。
しかも単に気持ちを歌にするのではなく、自然を詠み季節の花を詠んで、
そこに自分の思いを載せるのです。
この歌のやりとりの場合も、八重山吹を贈ったときにも歌があったでしょうし、
一重のが送られてきたときにもあったと思います。
残念なことにそれらの歌は残っていないのですが、
八重のお返事として一重の花が来たことにも、何か意味があったと思います。
そして一重の花とともにあった歌には、自分の思いが足りなかったとか、
そんなことが書かれていたのかもしれません。
「ひとへに愛づる 花の色は 薄きを見つつ 薄きとも見ず」、
花は一重、色は薄黄、でも心が薄いとは思えません・・・ 今から千年前、
紫式部さんの素敵なやりとりの歌ですね。
次は、ほととぎすを詠んだ式子内親王(しょくしないしんのう)の歌です。
こゑはして雲ぢにむせぶ時鳥涙やそそくよひのむらさめ
〔声はして 雲路に咽ぶ ほととぎす 涙や注ぐ 宵の村雨〕
声はして 雲の中を行く路に声をつまらせて鳴く ほととぎす 涙が注いでいるのか 宵の村雨。
ほととぎすの鳴き声は、お馴染みのテッペンカケタカとか、
特許許可局とか聞こえる可愛い声ですが、
昔は、恋に悩む悲痛な声にも聞こえて、恋しい思いをとても募らせる声でした。
そのほとぎすが、日も暮れて暗くなった頃、雲の中で鳴いているのです。
声高く鳴いているのではなくて、隠れているかのように、声をつまらせて鳴いているのでした。
その声に、式子さんは自分の思いが重なったのかもしれません。
あの声は、泣く姿さえ人目を憚らなければならない、秘めた思いがあるからだ。
その時、ざーっと村雨が・・・ このにわかに激しく降ってきた夜の雨は、
ほととぎすの涙のように思える・・・ まさに、秘められた熱い思いですね。
まー、何であっても 「秘められた」 となれば憶測は付き物で(笑) 式子さんの場合も、
皇女ということもあって古来憶測は絶えません。
しかしそれも、それだけ歌から浮かぶ思いが素晴らしいからに他ならないと思います。
夜、雲の中からほととぎすの声が聞こえて雨が降った、言ってみればそれだけのことですし、
難しい意味ありげな言葉も使われてないのですが、
深い思いが伝わってくるのです。
「声はして 雲路に咽ぶ 時鳥 ・・・」、秘められた思い、
その情感が見事に込められた歌ですね。
さあ、薫風の五月。秘めた思いなどはありませんが(笑) 心地よい時節をいっぱい楽しみたいですね。