今月は
2015年 12月は
12月が来てしまいました。
一年は、春ころでも夏でも12月はいつ来るのかしらみたいに思うんですが、
カレンダーをめくってあと一枚となると、急に速かったような気になります。
不思議なものです。
ま、悟ってないだけかもしれませんが。(笑) そして大晦日になると、
今度はいいことも悪いことも、何か一区切りが付くような気になります。
これも不思議といえば不思議です。
12月は、本当は不思議の月なのかもしれませんね。(笑) ということで、
ようやく一年が過ぎました。
今月の金花糖は、冬のゆったりと静かな雰囲気です。
なんだかんだと気ぜわしい十二月ですが、庭の冬景色を眺めながら、
静かにくつろがれるのはいかがでしょうか。
そして、冬のメニューといえば定番はやはりぜんざいです。
お餅は体が暖まってやはり元気も出ます。
金花糖のぜんざいは、手でペッタンペッタンついたお餅です。
そして餡は丹波大納言ですからほんとに美味しいです。
ぜひ12月は金花糖で、ぜんざいをご賞味くださいね。
では、初冬を詠んだ藤原公実(きんざね)の歌です。
昨日こそ秋はくれしかいつのまにいはまの水のうすごほるらん
〔昨日こそ 秋は暮れしか いつのまに 岩間の水の 薄氷るらん〕
昨日、秋は暮れたばかりなのに いつのまに 岩の間の水に 薄氷が張ったのだろう。
旧暦では、立冬が来れば冬です。
そこで秋は暮れたわけです。
そして、他の水は氷っていないのに、岩の間の水に薄氷があった。
これは確かに、初冬にある光景かもしれません。
地面つまり土や岩は、水よりも、熱しやすく冷えやすいです。
湖でも周りの地面に近い所から氷って行き、真ん中は後になります。
すると季節が冷えてきて初めに氷るのは、少ない水が岩に囲まれている所のはずです。
公実さんは、ちゃんとそれが分かったんですね。
またカチンカチンの氷ではなく、薄氷というのも初冬を感じさせますね。
そういえば子供の頃の思い出ですが、そのころは道路はみんな凸凹でよく水溜まりがあって、
季節が寒くなってくると薄氷が張ってました。
薄氷に長靴を載せるとパリンと割れるのが面白くて、道を歩くときにわざと踏んだりしてました。
今はそういう光景もあまり無くなって、季節はたしかに感じ難くなりました。
そう思っていくと、この歌はほんとに初冬の季節感がいいですね。
もう冬が見えている。
まさに、「いつのまに」という思いだったのでしょう。
「いつのまに 岩間の水の 薄氷るらん」、
まだみんな秋のままだけど、岩間の水にだけ薄く冬が来ていた。
まさに冬の始まりの趣を感じる歌ですね。
次は、年の瀬を詠んだ亀山院の歌です。
やまがつのかきねに春もちかければとしのうちよりにほふ梅がえ
〔山賤(やまがつ)の 垣根に春も 近ければ 年の内より 匂ふ梅が枝〕
山人の 垣根に春も 近いので 年明けの前から 匂う梅の枝。
まさに新年を待つ歌ですね。
山賤は木こりや炭焼き、猟師など山に暮す人です。
日頃は山での生活に追われている人の庭にも、
梅の枝が匂って、新しい春を今か今かと待っているようだ。
年の暮の歌はけっこう年月を悔やむ歌も多いんですが、
こういう何か待ち望むような歌は明るくていいですね。
旧暦では、元日がだいたい立春でしたから梅もほころんでくる頃なのです。
それで今でもお正月の気分を出すために、
盆栽の梅を元旦に間に合わせて咲かせたりするんでしょうね。
そして山賤(やまがつ)ですが、昔は山賤は不粋な、趣の分からない人の代名詞でした。
山の人の方が春を待ち望む気持は強いと思うんですが(笑) そういうことではなくて、
それだけ貴族の文化が懸け離れたものだったということでしょう。
それで、「山賤の 垣根に春も 近ければ」 となったわけですね。
「年の内より 匂ふ梅が枝」、
新しい春よ来い、ほんとに年明けを待ちきれないような思いの歌ですね。
さあ、今年もおしまいです。いい年が来ますように!!