今月は
2015年 3月は
暖かい日もあり寒い日もありですが、冬とは明るさが違うという感じです。
寒い日のコートなどは冬っぽくても、中の服装は春になってきました。
見た目にも少しずつ春です。
もう庭の雑草も生え始めています。
そういえば雑草はいっぱいになってしまうと草取りがほんとに大変。
でもそいうことを思うのも、春到来ということですね。
金花糖も、今月は冬眠から本格的に目覚めます。
おひなさまを飾りまして、まさに春の気分でお迎えいたします。
メニューも今月は特別メニューに、ひなまつりパフェをいたします。
ひなまつりパフェは、短冊に切ったスポンジケーキに金花糖の餡や苺が添えられた、
ほんとに春らしいパフェです。
スポンジケーキは自家製で、
そのしっかりした味を生かしたパフェになっています。
毎年大好評のメニューです。
三月は金花糖で、是非ひなまつりパフェをご賞味くださいね。
では、ウグイスを詠んだ道命法師の歌です。
道命は千年前の天王寺の長官職をされていたお坊さんです。
前書きがあります。
初めてウグイスの声を聴いて詠みました。
たまさかにわがまちえたるうぐひすのはつねをあやな人やきくらむ
〔たまさかに 我が待ち得たる 鶯の 初音(はつね)をあやな 人や聞くらむ〕
たまたまに、
私が待ち続けたことが実った ウグイスの 初鳴きを、納得いかないなー 他の人が聞いてるのだろうか。
うーん、この人はセコイというか、
ちょっと心が狭いような。(笑) しかもお坊さんなんですが。(笑)
ウグイスといえばもちろんホーホケキョですが、
昔の人は、そのウグイスの初鳴きを聞くのをほんとに楽しみにしてました。
それだけウグイスの声が好まれたということもありますが、
やはり春に初めて鳴く鳥ということで、
暦は春でもなかなか春らしくなってくれないけれど、
でもウグイスの声がすれば
いよいよほんとに春だよというような思いがあったからではないでしょうか。
昔はもちろん今の気象情報とかありません。
ですからその年ごとの季節の進み具合を、
木の芽を見たりとか鳥の声を聴いたりして見ていたのだと思います。
季節を見るには確かに理にかなった方法で、
今の気象庁でも、動物季節観測とか植物季節観測というものがあって、
ウグイスの初鳴きや、つばめの初見などを毎年記録しているそうです。
しかしとにかく相手は鳥のことですから、
聞きたいといってもとにかく待っているしかないわけです。(-”-;) 道命さんは待ちに待った。
そしてついに聴くことができて、
ひょっとして自分が初めて春を見つけたのかもとか、そんなことを思ったのかもしれません、
ついつい 「我が待ち得たる 鶯の 初音をあやな 人や聞くらむ」、
と僧侶らしからぬ歌を詠んでしまったのでしょう。(笑) 春が来たという嬉しさに
お坊さんも興奮してしまった、そう思うとセコイのではなくて、春の嬉しさいっぱいの歌ということですね。
次は、梅を詠んだ賀茂成助の歌です。
千年前の賀茂神社の神主であった方です。
むめのはなかきねににほふ山ざとはゆきかふひとのこころをぞみる
〔梅の花 垣根に匂う 山里は 行き交ふ人の 心をぞ見る〕
梅の花 垣根に色美しく匂う 山の家は 行き交ふ人の 心を見ているのだ。
「山里」は、古語では今より幅広い意味があるので、
山村という意もありますが、ここは山にある家とか山荘の方が意味が通るような気がします。
山を歩いていて、色も香りもほんとに素晴らしい梅を見つけたのでしょう。
そしてその梅のある家を見てみると、何か家が通る人のセンス、美が分かる心をを試しているような
そんな気がしたのです。
ところで、桜は昔から日本にあるものですが、梅は中国からの輸入木です。
ですから昔は桜を本格的に見ようと思ったら山桜で、山の中に見に行くのです。
でも梅はもともと植えるものですから、人の家の庭で鑑賞するのが一般的でした。
だから素晴らしい梅があると、その家の人はどんな人だろうとか当然気になるものでしょう。
この歌の、家にこちらの心を見られていると感じるというのも、
そんな梅が輸入木であるということの背景があるように思います。
神主の成助さんは、山里を歩いてきて素晴らしい梅に気づいた。
その垣根の家を見ると、たぶん特には目立たない普通の山の家だったのではないでしょうか。
さあ見てくださいという立派な家の庭でなかったからこそ、
ほんとに梅の木を見る目が試されている、そんな感じを持ったような気がします。
美を見逃さなかった、成助さんはそれがほんとに嬉しかったのでしょうね。
「山里は 行き交ふ人の 心をぞ見る」、
分かる人には分かる!! 梅とその家を見つめながらそう言ってるような、
そんな気持が表れた歌ですね。
梅が咲いて、さあここまで来ると、あとは桜を待つばかりです。