今月は
2024年 9月は
まだまだ暑いですが、朝晩は治まって夜は虫の音が聞こえます。
今月は17日が中秋の名月となり、秋らしくなってくる時節です。
すでにもう日は短くなってきてますね。
そして夕日もほんとに綺麗です。
「秋は夕暮れ」、夕日の美しさにもう秋は来ているのです。
あとは暑さ寒さも彼岸まで、二十日すぎには暑さも本当に収まってくるのではないでしょうか。
もう少しということで、過ごしよい時節を楽しみに気持ちで負けないように行きたいです。
金花糖も、今月はだんだんと秋の雰囲気です。庭も少しづつ秋の景色になってきます。
そしてだんだんと秋の今月には、「抹茶ぜんざい」 はいかがでしょうか。
「抹茶ぜんざい」は、丹波大納言の餡の美味しさをそのままシンプルに楽しんでいただくメニューです。
餡の上にアイスが載って、抹茶の濃茶がかかります。そして彩りに金箔と白玉が添えられています。
濃茶はシロップではなく、お点前で使う抹茶を使っていますので、
餡とアイスの美味しさが一段と深い味わいになります。
ほんとに美味しいメニューです。 今月は金花糖で、ぜひ「抹茶ぜんざい」をご賞味くださいね。
では、月にちなんだ恋の歌です。
この歌は、なぜか歌を詠んだ人の歌集には残されてなくて、
その歌をもらった人の歌集に、よみ人知らずとして残されています。
でも、詠んだのはおそらく大納言、藤原公任(きんとう)だろうと言われています。
歌をもらった人が書き残した前書きがあります。
あの人が夜に来たのですが、奥に私の影は見えてましたが、居ないと言って帰しましたら届きました歌。
ほのみえし月を恋ひつつかへるさのくも路の浪にぬれし袖かな
〔ほの見えし 月を恋ひつつ 帰るさの 雲路の浪に 濡れし袖かな〕
貴方に似た影が見えました 月を見て貴方を恋いつつ 帰るのは 涙で霞(かす)む雲の中のような路、涙の波に 濡れた袖でした。
詩人ですね!
訪ねていった。奥にその人の影がちょっと見えたような、でも、居ないと言われた。憧れの人を思いながら、涙涙で帰る路。
この歌をもらったのは馬内侍(うまのないし)、紫式部と同期の女房です。仕事が出来ておそらく美人、とにかくもてました(笑)
女房というのは、お仕えする主人の言わば雑事を担当する女性です。
主人がお后のような人であれば数十人とかいます。
中で特に信頼のおける何人かは、常に傍にいます。
たとえ男と寝る時でも隣の部屋とかに居るわけです。
また、主人を訪れる客が来た時にもその帰る時にも案内として女房が出てきます。
ですから女房は人目に触れることも多いわけで、
馬内侍のような人であればあれこれ声がかかるわけです。
源氏物語にも、十代の光源氏が年上の愛人を訪ねて翌朝帰る時、
送りに出てきた主人(愛人)の女房に、
朝露の前庭で 「折らで過ぎ憂き 今朝の朝顔」(手折らずには出て行けません 今朝のあなたを) と歌を詠み掛けて、
なんと手まで取るという場面があります!
しかし女房は慌てず騒がず、
即座にさっと 「花に心を とめぬとぞ見る」(主人への愛情が 薄いようですね) と歌を詠んで源氏をかわします。
出来る女房はさすがです。
初めに書きました「ほの見えし・・・」の歌を詠んだ藤原公任さんは、大納言ですから位としても高く、
また歌や音楽などの名人としても知られた人でした。
でも出来る女房に惚れ込んで、さすが美しい歌ですが、結局もう泣き落としのような歌を詠んでしまうことになったわけです。
「ほの見えし 月を恋ひつつ 帰るさの 雲路の浪に 濡れし袖かな」、
公任さんは、ひょっとしてちょっと恥ずかしくてこの歌を歌集に残したくなかったのかもです。
でも、馬内侍さんの方がしっかり残してしまったのです(-"-;) 涙涙の公任さんに、クールな馬内侍さん、月を恋ひつつ 帰るさの・・・ 想像の湧いてくるドラマのような歌ですね。
さあ、秋らしくなってきます。
心落ち着いて物事が出来るようになるので、何かに集中して浸かるのもいいですね。
恋には要注意ですが(笑)