今月は
2013年 4月は
桜ですね、ついに来ました。
寒いのが長かったので桜も遅いかと思ってたんですが、逆に早いとは。分からないものですね。
まだ寒いときは寒いんですが、ふきのとうが出て、たらの芽や筍を見ると、
少し寒くても春物を着ないと合わないかな、とか思います。
面白いものです。でもそれが季節の気分なんでしょうね。
金花糖も今月は、庭からの光が明るくなって、ほんとに春らしい雰囲気いっぱいです。
お花見のお帰りには、ぜひ金花糖でゆっくりしていただければと思います。
そしてそんな一服には、「抹茶ぜんざい」はいかがでしょうか。
「抹茶ぜんざい」は丹波大納言の餡に、自家製のアイスが載って、
上に抹茶の濃茶がかけられた、シンプルでありながら深い味わいのメニューです。
彩りには、金箔と白玉が添えられています。
濃茶はシロップではなく、お点前で使う抹茶を使っていますので、
餡とアイスの美味しさに、どっと深さが加わってほんとに美味しいです。
今月は金花糖で、ぜひ「抹茶ぜんざい」をご賞味くださいね。
では、桜を詠んだ藤原千景の歌です。
さきそめていく世へぬらんさくら花色をば人にあかず見せつつ
〔咲き初めて 幾世経ぬらん 桜花 色をば人に 飽かず見せつつ〕
咲きはじめて どれほどの時代を経たのだろう 桜花 美しさを、人に 飽くことなく見せながら。
毎年、ほんとに桜は飽きませんね。
日本人はどれほどの年月、桜を愛し続けてきているのでしょう。
時代による変化はあるとは思いますが、
千百年前の古今和歌集では、桜の歌が梅の3倍以上ありますから、
已にその頃にはもう春といえば何より桜だったに違いありません。
それ以上は知らないのですが、まあ、とにかく長いわけです。(笑)
この歌に、「色」とありますが、「色」は昔から幅広い意味があり、
色彩や女性の色香の意はもちろん、
顔色、美しい色彩、美しい容色、色情、気配、趣 ・・・ と、ほんとに多様な意味を持った言葉です。
今の場合も特にどの意味というのではなくて、
色んな意味を含めて使われていると思います。
そして、「色をば人に 飽かず見せつつ」 とあって、
なにか桜が人にその「色」を振りまいて見せているような、
それで人がその「色」の魅力に抗しきれないまま、時代を経てきた、そんな感じがします。
たしかに桜を見ると、もう反射的に春だ!! 宴会だ!!(笑) みたいな気分になってしまいます。
「幾世経ぬらん 桜花 色をば人に 飽かず見せつつ」、
桜はこれまでも、そしてこれからも、日本人にずっと愛され続けていくのだろう、
改めてそんな思いが浮かぶ歌ですね。
次は、散る桜を詠んだ紀友則(きのとものり)の歌です。
久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
〔ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ〕
空からの 光が長閑な 春の日に 穏やかな心なく 花の散っているのだろうと。
百人一首にもあり、名歌としてよく知られている歌ですね。
歌の意味だけからすると、
何故名歌と言われるのか分かり難いのですが、
でも読むと、確かにいい歌だなーと思うのです。やっぱり歌は、
単に解釈した意味だけのものではないということですね。
例えば、「ひさかたの 光のどけき・・・」の、それぞれの句の頭の文字を並べてみると、
「ひ、ひ、は、し、は」 となっていて、ささやくような優しい音が並びます。
この歌の優雅な雰囲気は、そういう音の響きからもきているのではないでしょうか。
また歌の意味としては、花が落ちつかない心になっているというわけですが、
「光のどけき 春の日に 静心なく」 と読んでいくと、
桜ももう終わってしまうなーという、人の思いもひとりでに浮かんできます。
桜は、単に美しい、
楽しみという言い方では済まないような・・・ 桜があっての春とさえ思いますし、
春の一番の楽しみです。
でもすぐに散って、特に昔の人はその桜が散ることを思い、
ほんとに気がかりでしかたがありませんでした。
まさに静心なくですから、この歌を読むとそんな思いも自然に浮かんでくるわけです。
のんびりと、何も思わずにいられそうな穏やかな春の日なのに・・・
「光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」 落ちつかない心で散る花は、
やはり少しせわしなく、はらはらはらはらと散っているのでしょう。
歌の響き、浮かぶ情景が言葉の意味を越えて、優雅に美しく伝わってきます。
名歌というに相応しい、ほんとに素敵な歌ですね。
さあ、春です。日差しも明るいです。ここは元気もアップで行きたいですね。