今月は
2015年 4月は
先月は、ここ金沢では新幹線で大騒ぎでした。
お正月でも、あんなに催し物が一度にあることはないと思います。
なにより金沢の人がいちばん驚いたのではないでしょうか。
前に金沢に住んでいて、今は県外に居る友人がニュースを見て言ってきたんですが、
「何か違う街を見ているよう」、我々もほんとにそんな感じでした。(笑)
さあ、いよいよ春になってきました。
やっぱり寒いのは大変、暖かいのがいいです。
年のせいか年々寒がりになって(笑) 暖かいとほんとに嬉しくなります。
そして春と言えば桜。
桜を見ると、これも陰気な気分が明るくなるような気がします。
やはり春は、陽気あふれる季節ですね。
金花糖も、今月は庭からの光が明るくなって、生け花もすっかり春の花です。
ほんとに春らしい雰囲気いっぱいです。
お花見のお帰りには、ぜひ金花糖でゆっくりされてはいかがでしょうか。
そしてそんな一服には、「抹茶ぜんざい」がおすすめです。
「抹茶ぜんざい」は、シンプルに丹波大納言の餡と、自家製アイスの美味しさを楽しんでいただくメニューです。
餡の上にアイスが載って、上に抹茶の濃茶がかかります。
そして、金箔と白玉が彩りに添えられています。
濃茶はシロップではなくて、お点前で使う抹茶を使っていますので、
餡とアイスの美味しさに深さが加わわって引き立つような味わいです。
ほんとに美味しいメニューです。
ぜひ今月は金花糖で、「抹茶ぜんざい」をご賞味くださいね。
では、桜を詠んだ藤原俊成女(しゅんぜいのむすめ)の歌です。
なべて世の花ともいはじをはつせの山の桜の曙の色
〔なべて世の 花とも言はじ を初瀬の 山の桜の 曙の色〕
普通の世の中の 花とは言えない お初瀬の 山の桜の 曙の色。
曙に見た桜の色が、素晴らしかった、ものすごく感動したんですね。
初瀬は、奈良県の長谷寺のある所ですが、長谷寺そのものの意でもあります。
「を初瀬」の 「を」 は親しみを表した接頭語です。
この歌は、想像ですが俊成女さんは長谷寺に参籠した、
つまり泊まり込んで何か祈願したことがあって、
その時に見た光景を詠んだのではないでしょうか。
参籠すると、夜半から夜明けまで祈ることがあります。
すると夜明けころに桜を見る機会があるわけです。
実は、昔は夜明けの頃を表す言葉が、
暁、しののめ、明け方など色々ありました。それぞれ微妙に意味がちがうのです。
暁は、夜明けでもまだ暗い時間です。
そしてこの歌の 「曙」 は、少しだけ明るくなった頃なのです。
月夜でも月の明るさでは、人間の眼の感度では色は見えません。
曙で、色が見え始めるのです。
俊成女さんは、この曙になる瞬間の桜の花を見たのではないでしょうか。
はじめは単に白く見えた花びらに、桜色が浮かぶように現れてきたのです。
しかも長くお経を読んでいて心も平常ではなかったでしょう。
それはまさに、普通のこの世のものとは思えない感動があったのだろうと思います。
「なべて世の 花とも言はじ を初瀬の 山の桜の 曙の色」、
古いお寺に籠って、白い桜にスローモーションのように淡いピンクが浮かんだ。
一度そんな体験をしてみたいです !! まさにそう思わせるような歌ですね。
では、清原深養父(ふかやぶ)の歌です。深養父は清少納言の曾祖父です。
うちはへてはるはさばかりのどけきを花の心やなにいそぐらん
〔打ち延へて 春はさばかり 長閑けきを 花の心や なに急ぐらん〕
ずっと続いて 春はこんなに 長閑なのに 散ってゆく花の心は 何を急ぐのだろう。
春のお天気もいろいろですが、春のいい日が続くとほんとに穏やかというか、
ゆったりぽかぽかという気分になります。
冬からようやくこんな季節になってという気分もありますから、
ほんとにありがたいという感じです。
しかしそんな穏やかな日が続くときでも、桜は、咲いたかと思うとはらはらと散ってゆく。
落ちて行く花びらの動きもちらちら、ちらちらと忙しないです。
何を急ぐのか、そう思う気持は分からないでもないですね。(笑)
昔の人は、とにかく桜の散るのが心配でした。
歌でも咲いた花の歌よりも、散るとか散るのを心配する歌の方が多いのです。
特に悪者にされたのは風です。
The answer is blowin' in the wind ・・・ (答は風の中に・・・ / ボブ・ディラン)
まあ、風さんも悪者で災難です(笑) しかし、
ぽかぽか日和が続いても花は散ってゆきます。
するとそこで、この歌の花の心が心配な話題になるわけです。
でも、我々にはそんな話題自体が春の長閑な話と思います(笑) 「春はさばかり 長閑けきを 花の心や なに急ぐらん」、
もう、ほんとに長閑な春の日の、光景が浮かんでくる歌ですね。
さあ、春いっぱい。いい時節が来ました。
春の陽気をたくさんもらって、元気に行きたいですね。