今月は
2010年 11月は
秋らしい日々ですね。
特に晴れた日はほんとに秋を感じます。
秋の味覚も、今年は松茸が大豊作だったとか。
秋刀魚も安くなって、秋の山の幸、
海の幸、今のうちにいっぱい楽しみたいものですね。
今月は、いよいよ紅葉です。
そしてそれとともにだんだん肌寒くなってきますね。
金花糖も今月は、季節メニューが、焼餅トリオ、
ぜんざいのお餅メニューとなります。
冷えてくるとやっぱりお餅ですね。
餅は、昔の「本朝食鑑」という食材全書にも
益気行血暖脾胃 (気を増し、血行をよくし、消化器系を暖める)
とあって、
体を温め元気を出す食べ物です。
そして金花糖のお餅は、手で搗いたお餅です。
伸びにも力があってほんとに美味しいです。
ぜひ金花糖で、焼餅トリオ、
ぜんざいのお餅メニューをご賞味くださいね。
では、秋の紅葉を詠んだ紀貫之の歌です。
北山に、
紅葉を折ろうと行きました時に詠みました。・・・ 紅葉を折りに行くというのは、
昔は桜でもそうですが、見に行ったおみやげによく枝を折ってくるということを
しましたので、紅葉狩りに行くのをそういう言い方をしたようです。
今そんなことをしたら大変ですが(笑) まあその頃は
人口も今の 1/20ほどの時代でしたから。
見る人もなくてちりぬるおく山の紅葉はよるのにしきなりけり
〔見る人も 無くて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり〕
この紅葉が誰にも見られないままで散ってしまうなんて、ほんとうに惜しい、誰
かに見せたい!! そんな思いですね。 「夜の錦」というのは、
中国の故事に 「富貴にして故郷に帰らざるは、錦を衣(き)て夜行くが如し」 と
あるのを引いています。意味が無い、もったいない、という意です。
ほんとうに素晴らしい紅葉の景色だったんですね。
でもこの歌で不思議なのは、「奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり」 と歌うと、
本来の意味とは別に、
夜の闇の中に、鮮やかな紅葉の色があるような光景が浮かんでくるということです。
しかもこれは現実には見えない光景です。
たとえ月の光があったとしても、人の眼はある程度以上明るくないと
色の感覚を失ってしまいます。
ですから奥山みたいなところでは、夜は紅葉も白っぽく見えるだけで、
色は見えないのです。
そんな現実にはない、闇の中の鮮やかな紅葉、それがなぜかこの歌からは浮かぶのです。
なんでもなさそうな歌なのに、
そして誰にも知られないままひっそりと散っていくという歌なのに、
カラフルで華やかです。
「奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり」、紅葉の色がいつまでも心に残るような、
素敵な歌ですね。
次は、藤原良経(よしつね)の歌です。
くちにけるもりのおちばにしもさえてかはりしいろのまたかはりぬる
〔朽ちにける 森の落葉に 霜冴えて 変りし色の また変りぬる〕
《朽ちていた 森の落葉に 霜は凍り付き 変わってた色の またも変わって》
森はその時その時で、ほんとうに季節の色で埋まるんですねー。
紅葉の頃には回り中が赤や黄色で埋まり、
落ち葉が朽ちると赤い地面が全部茶色になって、
そして晩秋の冷え込んだ日、落葉に霜が寒々と凍るように付いて、
地面は一面に真っ白になった。
もちろん、夏は緑、緑でいっぱいでした。
緑、赤、茶、白、「変りし色の また変りぬる」、
森の中の光景が、何か見ているうちに次々と変わっていくような、
そんな思いが浮かんでしまいます。
「森の落葉に 霜冴えて」、そしていよいよ白の季節になるのです。
思えば、どんな色も「また変りぬる」・・・ 良経さんは、
何か深い思いを持ちながら冬を迎えようとしていたのかもしれません。
でもこの歌はなんといっても、もう凍(し)みるような晩秋の美しさ
を見事にとらえた歌ですね。
さあ、美しい秋も今月かぎり。
いっぱい楽しんで、そして年々こたえる寒さの準備です。(笑)