今月は
2012年 2月は
今年はあんまり雪がなくていい正月だったとか思ってたんですが、
大寒が来て、どかっと積もってしまいました。
やっぱり大寒の頃は降りますね。
雪が積もると雪かきは大変だし、道は足がはまって歩き難いし、
そして雪が固まればこんどは滑って歩き難い、やはりなかなか面倒です。
そういえば金沢弁で、雪が固まって滑りやすくなっているのを、「きんかんなまなま」 と言います。
なんでそんな言い方をするのか知らないのですが、
古語から、きんかんなまなまの語源を考えてみました。
江戸時代には禿げ頭を嘲って、「きんかん頭のハエ滑り」という言い方がありました。
「きんかん」は金柑から来ているようですが、
禿げ頭でハエが滑って(笑)、光ってつるつるという語感になったようです。
古語の「なまなま」という言葉には滑るみたいな意味はないのですが、
「ぬまぬま」という言葉があって、これは油などでぬるっと滑りやすいとか、とらえどころが無いという意味です。
すると元々は、キンカンでヌマヌマとか言ってて、それが縮まって訛って、「キンカンナマナマ」に
なったのかもしれませんね。私見ということで。
さて今月は金花糖も、冬ごもりで静かな雰囲気になっています。
庭の雪を眺めながら、ゆっくりと暖かいぜんざいはいかがでしょうか。
丹波大納言の餡に、ぺったんぺったん手つきのお餅でほんとに美味しいです。
落ちついて、暖まって、今月はぜひ金花糖でぜんざいをご賞味くださいね。
では、雪を詠んだ赤染衛門の歌です。
赤染衛門は平安時代の女房です。紫式部と一緒に仕えたこともあり、交流もあったようです。
はるやくるひとやとふともまたれけりけさ山ざとのゆきをながめて
〔春や来る 人や訪ふとも 待たれけり 今朝山里の 雪を眺めて〕
春は来ているのだろか 人は訪れるのだろうかとも 待たれるのです 今朝山里の 雪を眺めて。
なんとなく雪を眺めて、今年はいつ春になるのだろうとか、
いつになったら誰か来てくれるのだろうとか、これもなんとなく思って、
けど積極的に何かするわけでもなくて・・・ この気持ちは
分かります。(笑) 雪にどさっと積もられてしまうと、
心も何かこもったような気分になってしまいます。
心が内側に向いて、消極的に待つだけみたいな思いになりがち。
赤染衛門さんは、そんな気分を詠んだのではないでしょうか。
でも、50代のある大学の先生から、
「学生時代を金沢で過ごしたおかげで、
冬に自分を見つめることができた。」 という話をお聞きしたことがあります。
雪に包まれるというのは、そういう良さもあるわけです。
でも、「春や来る 人や訪ふとも 待たれけり」、北陸の人間としては、
雪は少ないに越したことはないですね。(笑)
次は、紀貫之の歌です。
霞たちこのめもはるの雪ふれば花なきさとも花ぞちりける
〔霞立ち 木の芽もはるの 雪降れば 花なき里も 花ぞ散りける〕
霞が立ち 木の芽も張る、春の 雪が降って 花の無い里も 花が散っているよ。
春になれば、春霞が立ち、木の芽が張りだんだん膨らんできて、
そして葉や茎が生えてきます。
昔の人は春が来ていることを、木の芽が膨らんでくるのを見て確かめながら、
楽しみにしていたのだと思います。
何しろ今と違って天気予報とか気象データの発表なんてありません。
それにカレンダーが、季節の進むのとあまり合ってるとはいえないものでした。
今のカレンダーは、毎年、日にちが同じなら太陽の位置は同じです。
少しづつずれてはくるのですが、4年に1回のうるう年に1日加えて合わせています。
ですからカレンダーの日と太陽の位置の関係は、1日を越えて違うことはないわけです。
そういえば、今月は1日多い、今年はうるう年ですね。
ところが昔のカレンダーは、1年で10日ほどもずれてしまうものでした。
それで暦が大きくずれてくると、うるう月を入れる、
例えば3月に行うなら3月を2回するのです。つまり30日とか29日分、
どんとまとめて修正するのです。
ですから同じ太陽の位置であっても、最も差がある時では2月1日のこともあれば、
3月1日のこともあるわけです。
これではせっかく春が来ていても、カレンダーの日にちは大体のところでしかあてになりません。
木には季節の目安になる葉もまだ出ていません。
でも、木の芽が張って膨んでくる、それはどんなに楽しみなことだったでしょう。
春の花が待ち遠しくて、雪が降っても、花が思い浮かぶのです。
「木の芽もはるの 雪ふれば 花なきさとも 花ぞちりける」 ほんとに美しい歌ですね。
そして、春を待つ楽しみがいっぱいに詠まれた歌ですね。
さあ、寒さも今月がヤマ。これを過ぎれば、いよいよ春の足音です。