今月は
2010年 2月は
先月は雪でほんとに大変でした。 A^_^;) 長期予報って
当たらないですね。(笑) でも2月になりました。
いよいよ節分です。
今年は4日が立春、春への歩みが始まりますね。
とは言っても
ここ金沢では、2月はまだいつ雪が来てもおかしくなくて、
まだまだ寒い日が多いです。そんな日には、やはり定番の
ぜんざいはいかがでしょうか。金花糖のぜんざいは、
丹波大納言の餡に、手搗きのお餅、とても美味しいぜんざいです。
そして冬の金花糖は、静かでほんとにゆったりとしています。
寒い日には、ぜひ金花糖で、ゆっくりとぜんざいをご賞味くださいね。
では、雪の状景を詠んだ順徳院の歌です。
ながめつつなにを何とか思はましははその森の雪の夕ぐれ
〔眺めつつ 何を何とか 思はまし 柞(ははそ)の森の 雪の夕ぐれ〕
《眺めつつ 何をどう 思ったら 柞(ははそ)の森の 雪の夕ぐれ》
柞の森は京都の南、奈良の北方にある森です。柞は楢(なら)や橡(くぬぎ)の総称です。
楢などの森ですから、柞の森は紅葉が素晴らしく、紅葉の名所として知られていました。
その森が、雪の降る夕暮れの中にあった。
順徳院さんは、夏の緑も秋の赤も無く、
白い雪と共にモノクロームとなって、そして暗くなって行く森の状景に心を奪われたのでした。
心は何も浮かばず、ただ見つめるだけのような感覚に入り込んだのではないでしょうか。
松尾芭蕉は、松島の絶景を見たとき、心を奪われて句が出来なかったとあります。
本当かどうか分かりませんが、「松島や ああ松島や 松島や」 としか出てこなかったとか。
芭蕉の450年前、順徳院さんも同じ思いをしていたんですね。
でも順徳院さんは、今は何も浮かばない、何をどう思えばよいのだろうか、
ということそのものを歌に詠んだのでした。
「眺めつつ 何を何とか 思はまし」、思いは出なくとも、
何かその瞬間が伝わってくる歌ですね。
次は、雪を詠んだ大江匡房(まさふさ)の歌です。
道たゆといとひしものをやまざとにきゆるはをしきこぞの雪かな
〔道絶ゆと 厭ひしものを 山里に 消ゆるは惜しき 去年(こぞ)の雪かな〕
道が絶えると嫌っていた雪、でも春が近づき、
もう消えていくとなると惜しいと思う。
雪はそんなところがあるかもしれません。
でも、雪国の人は基本的にそうだと思うんですが、
ここ金沢の人はみんな雪が嫌いです。(笑) 「いいお正月だったね。」とか、
「今年の冬はよかったね」という言葉が出ると、
それは何も言わなくても雪が降らなかったという意味です。
雪掻きをしなければ、車も出せないし道は歩き難くて危険。
山里でなくても、「道絶ゆと 厭ひしもの」という気持はすごくよく分かります。
そして雪が消えれば、せいせいします。(笑) やはりついつい楽とか大変とか、
そういうことで思ってしまうわけです。しかしここはやはり匡房さんのように、
「道絶ゆと 厭ひしもの」であっても、大きな心で行く季節を惜しみたいものです。
そう思えば、「消ゆるは惜しき 去年(こぞ)の雪かな」、
冬そのものが溶けて消えて行くのを見送るような、素敵な歌ですね。
いよいよ冬もあと少し。インフルエンザはもう下火とのことですが、
ヒートテックでも着て(笑) 冬を送り、春を待ちましょう!!