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今月は

2017年 5月は

寒さもすっかり行ってしまって、外へ出るのもほんとに気軽になりました。 ここ金沢ではまだストーブなど暖房は使いますが、 それでも灯油がいつまでもある感じで、いよいよ今月のどこかで片付け時になりそうです。
そして5月はほんとにすっきり気持のいい時節ですが、 これは空の明るさや日の高さのせいもあるような気がします。 金沢の冬の空はやっぱり暗いですから、 今は普通の道路の景色まで見違えるような気がします。 ほんとうに身も心も爽やかになる時節ですね。
今月の金花糖は、五月は端午の節句ということで、兜を飾ってお迎えいたします。 そして寒くも暑くもなくのこの時節、 メニューには紅茶あんみつはいかがでしょうか。 紅茶あんみつは、濃いめアールグレーの、紅茶寒天が主役のあんみつです。 ベースに紅茶寒天がたっぷり入って、 その上に丹波大納言の餡と、自家製アイスが載せられています。 色どりには、苺、キウイと生クリームが添えられます。 固定ファンの多い、大好評のメニューです。 特製の白蜜が付いていますので、お好みの甘さで紅茶寒天の味を楽しんでいただけます。 今月は金花糖で、ぜひ紅茶あんみつをご賞味くださいね。
では、春の宇多天皇の御歌です。

おほぞらをわたる春ひのかげなれやよそにのみしてのどけかるらん
〔大空を 渡る春日の 影なれや 余所(よそ)にのみして のどけかるらむ〕

あなたは大空を 渡る春の日の 光だからでしょうか 手の届かないような所にあって 長閑(のどか)なのでしょう。
歌の「影」は、光の意味です。 この歌は千百年前の宇多天皇が、 里に帰ったままでなかなか戻ってこない、刑部(ぎょうぶ)の君という方に送られた歌です。 お里は居心地がいいのでしょうかと、 なんとなく、早くこちらに戻って来てほしいというお気持を伝えたわけです。 そして刑部さんを日の光に例えています。
You are my sunshine !! (ユー アー マイ サンシャイン)
最高の例えですね。たしかに変なものに例えては台無しです(笑)
刑部さんがなぜ里に下がってしまったのかは分かっていません。 ただ昔の天皇はお相手の女性が多くおられたので、 女性の方はなかなか大変だったようです。 天皇にあまり気に入ってもらえなければそれは当然辛いわけですが、 お気に入りになればなったで、今度は他の女性からの妬みそねみが大変なわけです。
ですから天皇によっては、御后一人だけで、他に女性を入れなかったという方もおられます。 また、問題が起きないようあまり一人の女性に偏らないようにされたとかいう記録もあります。 でも普通はやはり色々あったようで、それは源氏物語にも描かれています。
刑部の君さんに何があったかはともかく、 里から呼び戻そうとするときでも、やはりこういう歌でお伝えするんですね。 しかも季節感を込めて・・・ その日は、 春の日差しがぽかぽかと暖かく、ほんとに長閑な日だったのでしょう。 「大空を 渡る春日の 影なれや 余所(よそ)にのみして のどけかるらむ」、 言わば機嫌を直してほしいという歌なのですが、 さすが天皇の歌、おおらかで気品があります。 もめ事よりも、穏やかな春の日差しをいっぱいに感じる歌ですね。
次は、春の終りを詠んだ式子内親王の歌です。

ながむればおもひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕ぐれのそら
〔眺むれば 思ひやるべき 方(かた)ぞ無き 春の限りの 夕暮れの空〕

眺めましたら 気が晴れるはずの 方向が無い 春の終りの 夕暮れの空。
春の終わり。 美しい春の景色ともお別れです。 最後の夕暮れに、気がつけば、あの春らしい空がもうどこにも見えない。
昔は春の最後の日によく歌を詠みました。 今はいつまでが春とかははっきりしてなくて、 なんとなくでしょうか(笑) でも気象庁でははっきり決まっています。 春は今月で終わりです。 来月からは夏のお天気になります。 昔は旧暦で、立夏がおおよそ四月一日でしたから三月で終りとしてました。 だから歌は旧暦の三月末日に詠んだわけです。
そして昔の人が季節の終りに詠む歌は、その季節を讃えて惜しむ歌です。 式子さんは別に春の空だけが美しくて、夏の空が美しくないと思っているわけではありません。 行く春を讃えることによって、また美しい季節が無事に来てほしいと、春への願いを込めて詠んでいるのです。 「眺むれば 思ひやるべき 方(かた)ぞ無き 春の限りの 夕暮れの空」、 春最後の夕暮れの空を仰いで、春を惜しみ、また来る春を待つ。 まさにそんな思いのあふれた歌ですね。
さあ、五月は晩春、そして初夏へと向かいます。 心地よい時節をいっぱい楽しんでおきたいですね。

甘味処 金花糖/石川県金沢市長町 3-8-12/tel 076-221-2087