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今月は

2012年 6月は

先月は、期待ほど天気よくなかったですね。 月の後半は回復してきたかなと思ったら、 今月は梅雨入りです。(笑)
今は、雨降りといっても主な移動は車や電車ですから、 ほんとに雨具の要る時間は短いはずですが、 でも雨が降るとやっぱりイヤですよね。(笑) 湿度とか、 空の色とかのせいもあるでしょうが、やはり足元とか濡れることでしょうか。 もちろん、梅雨は降らないといけないものなんですが・・・ ちなみに、 小津安二郎の映画は、基本的に全て晴れだそうです。 もちろん例外の場面もあるのですが、 どんな悲しいときでも空は晴れ、小津さんはそうありたいと 思っていたそうです。 でもこれは濡れるからイヤ、というんではないんでしょうね。(笑)
今月の金花糖は、梅雨にすっきりメニューということで、わらび餅をいたします。 黒豆きなこと、自家製の黒蜜がかかっています。 そして特製冷茶付き。とっても美味しいわらび餅です。 じめじめ気分にはすっきりと、ぜひ金花糖でわらび餅をご賞味くださいね。
では、梅雨、五月雨(さみだれ)を詠んだ藤原良経(よしつね)の歌です。

はかりなきこひのけぶりやこれならむそらにみだるるさみだれのくも
〔計り無き 恋の煙や これならむ 空に乱るる さみだれの雲 〕

限りのない 恋の煙はきっと これなのだろう 空に乱れる さみだれの雲
この雲はどんなだったんでしょうね。 何か黒い雲が混ざったようになって、 どろどろの感じだったのでしょうか。(笑)
恋は心が燃えますから、やはり煙が出るという思いが浮かびます。 加えて「恋」の発音は今はコイですが、昔はコフィあるいはコヒでしたから、 ヒ(火)ともつながりやすいわけです。

また昔の人には煙が雲になる、そういう思いがあったようです。 特に火葬の煙についてよくそう詠まれていますので、 何か信仰との関わりがあったのかもしれません。 でもその背景としては、 煙が上にあがって雲のように見えるということもあったでしょうし、 また雲が、低くなって山に掛かっていることがありますが、 その山で雲の中に入ると霧に入ったのと同じようになりますから、 そういうところからも、雲を霧や煙みたいなものと考えていた、 ということがあったのではないでしょうか。

とは言っても、もちろん恋の煙は 上がるような気がするだけで(笑) やはりその梅雨の雲の様子が、 良経さんには恋の煙のように見えてしまったわけです。 きっと雲は、空じゅうを埋め尽くしていたんでしょうね。 恋の煙はきりもなく燃え続けて、大空をいっぱいにしてしまった。 そしてあんなにどろどろ乱れて、これはまさに恋の煙そのものだ。 「恋の煙や これならむ 空に乱るる さみだれの雲」 うっとうしい梅雨の暗い空、 それを恋の名残と見た素敵な歌ですね。
次は、在原業平(なりひら)の歌です。少し長い前書きがあります。

藤原敏行が、業平の家にいる女に交わり付きあっていました。女に手紙が届いて、 「今まいりますが、雨が降ってたので判断しかねています。」 と言っているのを耳にして、 その女にかわって返事の歌を詠みました。

かずかずにおもひおもはずとひがたみ身をしる雨はふりぞまされる
〔数々に 思ひ思はず 問ひ難み 身を知る雨は 降りぞ増される〕

いっぱいいっぱい 思っている思っていないとか 問うことはあなたが離れていて難しいから 我が身が どうなるのかを知る雨は ますます降りつのっています。
我が身を知る雨は、思いに感じた天が降らす雨であり、そして涙です。 ほんとに、思いのこもった歌ですね。 それにしても恋人に雨が降るから家から出られないと言う、これはたしかに許せないかもしれません。 ただ昔の貴族は雨の外出は苦手でした。服も雨の日に向かないものでしたし、 牛車も出入り口や窓は防水ではありませんから、油紙などで囲う必要がありました。 だからついついそういう言葉が出てしまったのかも。
昔は思いを伝える力のあるものは、なんといっても歌でした。 でもこれは上手に詠んでんこその話で、下手なら興ざめです。 そこで、業平さんが一肌脱いだわけです。
聞いて確かめたいことがいっぱいあるのです。 でもあなたは来ようとしない。 あなたが本当はどう思っているのか。分からない。 でも涙が止まりません。きっと涙は分かっているのです・・・
結局これ、どうなったのでしょう。 伊勢物語によれば、敏行さんはびしょびしょに濡れて 飛んで来たそうです。(笑) よかったですね。 「身を知る雨は 降りぞ増される」、やはりこの歌に力があったということですね。
いよいよ梅雨。 うっとうしい日々でも、ま、こんなドラマがあるんならいいんですが。(笑)

甘味処 金花糖/石川県金沢市長町 3-8-12/tel 076-221-2087