今月は
2016年 9月は
残暑がほんとに大変ですね。
でも先月は、オリンピックで感動感動でした。
ただ、もう暑くて、ここ金沢でも気温が体温を越えるというとんでもないような日もありました。
そしてまだまだ暑いんですが、それでも夜になるともう虫の音が聞こえます。
15日は中秋の名月です。
今月は、いつまで暑いのかとか思っているうちに少しずつ秋が来るのです。
さつまいもに松茸、柿に栗、そして秋刀魚と秋の味覚も出てきます。
なんとか残暑を乗り越えて、秋晴れの日を待ちたいです。
金花糖も、今月は少しずつ秋の雰囲気です。 庭の景色も秋の感じが表れてきます。
そして、秋らしくなる今月は 「抹茶ぜんざい」 はいかがでしょうか。
「抹茶ぜんざい」は、丹波大納言の餡と、
自家製アイスの美味しさをそのままシンプルに楽しんでいただくメニューです。
餡の上にアイスが載せられて、抹茶の濃茶がかかっています。
あとは彩りとして金箔と白玉が添えられます。
濃茶はシロップではなくて、お点前で使う抹茶を使っていますので、
餡とアイスの美味しさをそのまま活かしながら、深さが加わわった味わいです。
ほんとに美味しいメニューです。
ぜひ今月は金花糖で、「抹茶ぜんざい」をご賞味くださいね。
では、秋の初めを詠んだ藤原敏行の歌です。
あききぬとめにはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる
〔秋来ぬと 目には清(さや)かに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる〕
秋が来たと 目にははっきり 見えないけれど 風の音に、はっと気づいた・・・。
この 「風の音」 は、誰にも分かるというものではなかったでしょうから、
ひゅーひゅーという風の音そのものではなくて、
きっと風によってさやぐ何かの音ではないでしょうか。
ただ、よくある秋らしい音というのでも多分なくて、
普段はあまり秋の意識で聞いてなかったような、そんな音のような気がします。
まだまだ夏そのままのように見えるけれど、ある風に、あれはたしか秋に聞く音だ、
と気づいて驚いたわけです。
記憶は不思議です。
音に限らず、見ていたものや匂いや味が知らず知らずに心に刷り込まれていて、
あるとき口に含んだ瞬間、この味はこの感触は何か憶えがある、何処かであったものだと、
失われていた時が蘇えるのです。
そういう経験はありますね。
例えば木の葉は、春は若草色の柔らかい感触のものですが、
夏は厚みも増してこわくなって、
そして秋に入ると葉は少しずつ水も通わなくなり軽くなってきます。
すると風が吹けば、さやぐ音も違ってくるでしょう。
日頃は何気なく聞いていますが、敏行さんは、きっとそういう季節の音に気づく瞬間があった、
そんな経験を持っていたのです。
この歌は立秋に詠まれたものです。
でもちょうど立秋の日にそんな音が聞こえたというよりも、
その秋の音に気づいた記憶を、立秋の歌として詠んだのではないでしょうか。
「秋来ぬと 目には清(さや)かに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」、
あれは秋に聞いた音だ。
この歌は、古今和歌集、秋歌の巻頭を飾りました。
まさに秋の巻頭歌にふさわしい、素晴らしい歌ですね。
次は、月を詠んだ藤原公能(きんよし)の歌です。
さよふけてふじのたかねにすむ月は煙ばかりやくもりなるべき
〔小夜ふけて 富士の高嶺に 澄む月は 煙ばかりや 曇りなるべき〕
夜はふけて 富士の高嶺に 澄む月は 煙だけは 曇りになってしまうなー。
富士に澄んだ月、まさに役者の揃った歌ですね。(笑) これは想像ですが、
この歌の場面は富士山が雲の上に頭を出している、そういう景色だったのではないでしょうか。
雲が月にかかるのは普通のことです。
でも童謡にあるみたいに、頭を雲の上に出している富士山を見る時は、
その上とか頂にある月は、雲が無くて曇らないのがやはり合うような気がします。
でもそのころの富士山は煙が上っていたわけですから、
公能さんとしても、もひとつ残念に思ったのだと思います。
富士山は大昔からずっと煙が上ってたようですが、
1100年前の古今和歌集には 「今は富士の山も煙立たずなり」 とあります。
ここで煙は止まってたんですね。
でも、1000年前の更級日記には 「富士の山は・・・ 煙は立ち上る。夕暮は火の燃えたつも見ゆ」 とありますから、
煙はまた出ていて、なんと火まで見えていたようです。
公能さんは、900年前の人です。
まだ煙が上がっていました。
富士に、澄み切った美しい月。そして煙です。
「富士の高嶺に 澄む月は 煙ばかりや 曇りなるべき」、
この月に、山の煙が惜しいなー。
日本一の富士の山、
公能さんにぜひ今の富士山を見せたいものですね。(笑)
さあ、暑さ寒さも彼岸まで。お彼岸の中日が今月22日です。
爽やかな秋を楽しみにしたいです。